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真珠婚式 [家族]

結婚して30年が経ちました。「真珠婚式」と言うそうです。
色々ありましたが、振り返ればあっという間だった気がします。
それにしても自分の人生の約半分という時間を共に過ごしてきた訳ですから、感慨も一入です。

記念に旅行なども考えましたが、まだコロナも完全には収束しておらず躊躇いもあり、二人が好きな名古屋観光ホテルの「ジャルダン」でディナーをしてきました。この期間は、北フランス料理のフェアで、まずは乾杯します。

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コロナの影響か、17時半で予約していたのですが、ディナー客は私達だけでした。完全なる貸切状態でした。結婚記念日という事で、アルコールも1杯サービスです。何せホテルなので、グラスの生ビールも1杯1050円と高いため、嬉しいサービスと言えます。

家内は、今でもOL時代の友人と定期的に食事会を開催していますが、中には夫婦でもほとんど会話が無く、何年も前から二人での外食もしない友人もいるそうです。そう考えると、我が家は何をするのも一緒で、今時珍しいくらいかもしれません。

私の両親はダイヤモンド婚式(60年)を達成しています。そう考えるとまだ半分です。
取りあえず次は金婚式(50年)を目指して、二人で人生を謳歌したいと思います!

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今回の北フランスの料理は本当に美味しかった。忘備録として・・、

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【ライブキッチン】
 ・鶏肉のコンフィ、トリュフ香るサルラ風ポテト
   ソース・リヨネーズ、ハニーマスタード添え
 ・フランス風サンドウィッチ パン・ド・バーニャ
 ・オニオングラタンスープ

【冷製料理】
 ・カクテル & フィンガーフード 2種
 ・トラウトサーモンのマリネ、その他オードブル

【温製料理】
 ・若鶏のヴァレ・ドージュ シードル風味
 ・子羊のシャンヴァロン風
 ・小海老のフリット、オロールソース
 ・牛肉の赤ワイン煮込み 小野菜のグラッセ添え
 ・スープ・ノルマンドと小さなロールキャベツ
 

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お疲れさまでした [家族]

家内が昨日14年勤務した仕事を辞めました。
体力の衰えが進む義母(家内の母)の世話する時間を増やすことが主な理由です。
勤務先では仲間にも恵まれたようで、ほとんど仕事の愚痴は聞いたことがありません。
素敵な花束をいただき花瓶に飾りました。

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私からは慰労を兼ねてイタリアンレストラン「マリノ」に行ってきました。

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赤ワインで静かに乾杯します。

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家内の好きな海老尽くしのパエリアは、とても気に入ってもらえました。
久し振りに二人での外食でしたが、いいひと時を過ごすことができました。
あらためて長い年月の勤めお疲れ様でした。
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母の日 [家族]

一人暮らしをしている子供から、花キューピットで家内宛に「花」が届きました。
本日は、『母の日』でした。

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例年、食事に招待してくれていましたが、今は新型コロナウィルスで外出自粛のため
この花のプレゼントとなったようです。この贈り物を家内はとても喜んでいました。
早速子供にお礼の電話をしていました。

子供も今は、仕事は全て在宅勤務のようで、ほとんど自宅から出ていないようです。
一人暮らしを始めて約1年となりますが、そう場所も離れていないにも関わらず、この1年で
3~4回くらいしか帰ってきません。親を当てにしないだけ、私は頼もしいと思ってしまいますが、
家内はやはり寂しいようです。それだけに届いた花が嬉しかったのでしょう。

さて私ですが、『母の日』だからと言って、家内であって母でもなんでもないのですが、
子供の花に感化され、料理の手間を省いて楽してもらおうと、電話注文で料理をテイクアウト
としました。
(ここ1ケ月の間、株主優待を利用してかなりテイクアウトするようになりました)

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浜寿司で握寿しを、扇屋で串、フライドポテトを時間指定し取りに行き、そのついでに
洋菓子のEISENDOで家内の好きなケーキを買いました。

器用な男性なら、料理を手作りでご馳走なんてこともあるのでしょうが、私にはちょっと
無理なので。
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ご先祖様を知る [家族]

8月15日、今日はお盆です。
お盆とは、浄土から戻ってくるご先祖様や亡くなった家族の霊をお迎えして供養する行事です。
特にお坊さんを呼んだりはしませんが、家には仏壇がありますので、讃仏偈を唱えて、在りし日
の故人を偲びます。
両親が亡くなって4年弱経ちますが、毎日お経だけは欠かしません。信仰心が強かったわけでは
なかったのですが、今は習慣となってしまいました。

父が亡くなった時、税理士に「相続税申告書」を作成してもらいました。

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その時の書類の一つに、「改正原戸籍謄本」があります。ここに父の両親、兄弟の戸籍が
記されているわけですが、これによってそれまで知らなかった父の両親の生年月日や生まれた
所在地が分かるわけです。
この資料を初めて見た時、父のルーツを知ることができたような気がして、なぜか嬉しかった
のです。しかし、この申告書では、母方の家系を知ることはできません。ところが・・・。

先日、広島の土地区画整理準備会というところから1通の手紙が届きました。
思い当たる節もなく、なんだろうと思いながら中に書かれていることを読み進めます。
要約すると、広島のある土地を区画整理事業を進めるにあたり、
その土地所有者を調査した結果、私が、その土地の所有権登記名義人の法定相続人の一人で
あることが判明したとのことでした。その方の生まれた年が嘉永2年(1849年)生まれ
であるため、相続関係の調査に時間を要し、連絡がこの度となったということです。
その手紙には、「相続関係説明図」も添付資料として入っていて、母方の家系図であることが
分かりました。この方は、母のお母さんのお母さんのお父さん、すなわち
「ひいひいおじいさん」ということになります。「高祖父」と呼ばれるようですが、
1849年生まれというのは、江戸時代で、ペリーが日本に来航した時よりも前のことであり、
その方から私に至るまでの、祖父母や曽祖父母、また他の兄弟の方々が一覧表になっていて、
まさに驚くべき内容の資料でした。

話を戻すと、この相続整理の方法は大変そうです。遺産分割協議が整っている場合と
そうでない場合、相続財産を金銭で清算する場合、相続財産の整理ができない場合など、
整理には相当な時間を要しそうです。相続人には私以外にも分かっているだけで何十人と
いて、各人の意見や思いをまとめていかなくてはなりません。丘陵地の土地区画整理という
ことからすると、多分相続の対象となる土地は「山林」ということでしょうから、土地を
換地として相続するにしても広島の土地では活用も難しいと言えます。
最終的には遺産放棄が一番現実的かもしれません。

相続問題は別として、今回母方の家系図を知ることが出来たのは、私にとってはひとつの
財産となりました。ひいひいおじいさんがどのような人物だったのか、思いを馳せるだけで
も楽しくなります。
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一人暮らし [家族]

本日、子供の引っ越しの手伝いをしました。
引越し先は、自宅から車で30分の距離ですが、子供にとって日々会社への通勤は随分楽に
なるはずです。

衣服類や日常雑貨を車に詰め込んで運びました。家電製品は後日新たに買うようですが、
新品のベッドだけ、本日業者が届けてくれました。
今日初めて見たデザイナーズマンションは、一人暮らしの女性が住むには、セキュリティー
もしっかりしていて、洒落た建物でした。

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ベランダから見える景色も、本日は雨模様で霞んでいましたが、晴れて入れば名古屋城も
はっきりと見ることができます。自分も独身で20代ならこんなところで生活したいなと、
ちょっと羨ましくなりました。

同じ一人暮らしでも、自分の大学時代の下宿生活とは大違いです。
私がかつて住んでいた所は、部屋は5畳半の広さで、トイレ、風呂、台所は共同でした。
家賃は月額8500円という安さです。仕送りは厳しく、生活費は本当にギリギリでしたが、
不思議と苦しいと思ったことはありません。
夏休みに短期のバイトをしては、テレビ、ステレオ、原付バイクと、一つづつ欲しい物を
増やしていくことが実に嬉しく充実感がありました。お金がなくても楽しみ方はあるものです。

子供も自分のサラリーでやっていくのですから、私としても何も口出しはしません。
しっかりと人生設計を立てて、有意義な生活を送って欲しいと思うばかりです。

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17回忌 [家族]

本日、墓参りしてきました。兄の17回忌です。
お坊さんは呼ばず、自分たち家族だけで行いました。
『讃仏偈』と『重誓偈』の両方唱えました。
お経はいつの頃からか暗記してしまい、今はお経本もいりません。
兄の好きだったビール缶も供えました。
しばらく心の中で、兄と語り合います。

生まれた時は未熟児で、医者から1年持てばいいと言われたそうですが、幼少期は
わんぱくに育ったそうです。
人付き合いが上手で、お酒が強く雄弁でした。歌うことが好きで、大学のサークルも
歌声サークルを通じて日本全国の学生と知り合いになっていました。
私が中学1年生の頃、鉄棒の懸垂が苦手と聞くと、毎夜懸垂が10回できるようになるまで、
厳しく指導してくれました。同様にテニス部に入部した私の練習相手になってくれたりも
しました。
兄弟げんかもしましたが、いつも可愛がられていた気がします。
いつしか私も、亡くなった兄の年齢をはるかに超えました。
亡くなった兄の分まで、精一杯生きたいと思います。

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13回忌 [家族]

本日義父の13回忌法要を行いました。
私にとって今でも記憶に残る方です。

大手電機メーカーを定年退職された後、社会保険労務士をしながら人生を謳歌して
いました。趣味の俳句に勤しみ、毎月中日ビルまで俳句を習いに通われました。
私にとっては、共通の趣味である将棋の良き対戦相手でもありました。
自宅を訪ねると、「一局やろうか」と、将棋盤を持ってきたものです。
亡くなる数日前に、最後の対局をしたときは、義父の勝利でした。
勝負に勝った義父の嬉しそうな顔が忘れられません。
お酒も一緒によく飲み、何度も泊まりの旅行にも行きました。
振り返れば、たくさんの良き思い出があります。

義母は、生きて13回忌をできるとは思っていなかったと話されます。
義父が好きだった小玉スイカを供えます。

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仏壇の部屋に飾られている義父の遺影が、にっこり微笑んでいます。
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三回忌法要 [家族]

本日、父の三回忌を行いました。1時間足らずでしたが、無事終わりました。
昨年1月に父の一周忌、9月に母の三回忌でしたが、今回でやっと一区切りついた
感があります。
次は七回忌でしょうが、一つの節目なのでしっかりおこないたいと思います。

両親の墓は、自宅から徒歩10分のところにあります。お墓参りする距離としては
とても近くで、いつでも思い立った時に足を運ぶことができます。
しかしふと考えることがあります。両親の墓は私達家族が見守ることができますが、
私たちが亡くなった後はどうなるだろうと・・・
私と家内は両親と同じ墓に入るでしょうが、子供が嫁げば、私達の代で終わりです。
何れ供養する親族や縁者はいなくなり、無縁仏になってしまいます。
多くの家族が今こうした問題を抱えているはずです。

永代供養を行ってもらえる所を見つけるなど、何れ考えるときが必要になるかもしれ
ません。とはいえ、まだずっと先の話ではありますが・・・・。
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一緒に暮らす日 [家族]

子供が一昨日、大学時代の友人の車に乗って一緒に戻ってきました。
一時帰省ではなく、5年半振りに、こちらでの生活が始まります。

荷物は引越し業者に頼みましたが、大切にしているマリンバだけは傷がつくのを恐れて
いました。
そのマリンバを分解して、友人が車に載せて一緒に連れて帰ってくれたのです。

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同じ音大の同級生だったこともあり、マリンバも二人であっという間に組み立てて
しまいました。
友人は一晩うちで泊まって、昨日二人で「リトルワールド」に観光に行き、その後
埼玉まで帰っていきました。一人での長距離運転、本当に子供のために感謝の言葉
しかありません。持つべきものは友とは、こういったことなのでしょう。

11月1日からは、子供にとって新たな仕事をスタートすることになります。
再就職活動を行って、本人が今一番やりたい職を見つけて、決めることができた
ようです。
折角愛知に戻ってきたのに、初日から1週間ほど、東京丸の内本社で研修の
ようです。その間の宿泊ホテル、交通費の新幹線チケット一式が昨日届きました。

子供にとって、学生・社会人として東京での約5年半の生活は、これから
活かされると信じています。

昨年は、私が広島、家内が愛知、子供が東京とバラバラの生活が続きました。
一緒に暮らせば親子喧嘩もあるでしょうが、また刺激のある生活ができそうで
楽しみです。
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3回忌 [家族]

本日、母の3回忌を執り行いました。
父の一周忌と同じ岐阜のお寺さんに来てもらいました。

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時間にして1時間ほどでしたが、終えてほっとしています。

今はすっかり落ち着きを取り戻しましたが、それでもふと、亡くなった両親や
兄のことを思い出すときがあります。

今日の3回忌も、ごくごく身内だけでしたが、それでいいと思っています。
どんな人でも、亡くなればいつしか世間から忘れられていくものです。
両親や兄のことを唯一忘れない人間は、私だけのはず・・・。

そんな中、亡くなった兄の親友だった方から、先日、一枚の暑中はがきが届きました。
兄が広島に住んでいた時、高校の同級生の方です。社会人時代も当時勤務していた大阪
で一緒に飲んだりしていた方です。近況の報告のようですが、数年前に奥様を亡くした
ことや、二人の娘さんと一緒に写っている写真がプリントされていました。
私自身はほとんど面識もないのに、態々弟の私に近況を届けてくれる・・。
何十年経っても、忘れないでいてくれる人がいる、兄も幸せ者です。

年明けには、今度は父の3回忌です。
子供として法要はしっかり努めたいと思います。
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社会人スタート [家族]

5月2日~4日まで子供が東京から帰省しました。

今年3月に大学を卒業した子供ですが、先月からいよいよ社会人1年生です。

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家内は愛知に戻ることを望んでいましたが、就職先は東京(恵比寿)となりました。

4年間の学生生活を通じて、東京という大都会に残りたいと思ったようです。
学生時代に過ごしたマンションにそのまますみ続けることになりました。
仕事先まで30分程度らしいので、通勤面ではずいぶん恵まれていると思います。

これからは、当然のことですが、親の仕送りもなく自力でやっていくことになります。

帰省中、久しぶりに色々会話しましたが、子供なりに自分の考えを持っていることが分かり、
親としては少しだけ安心しました。

日々色々なことに遭遇するでしょうが、自分の夢を叶えるべく、中身の濃い生活を送って
ほしいものです。
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これからが本当の勝負です! [家族]

本日、子供が大学の卒業式を迎えました。

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家内が昨日から東京へ出向き、子供のマンションで一泊し、本日の卒業式に出席しました。
袴姿で臨んだ晴れの卒業式。
本人も家内も色々思うところがあったと思います。

夕方家内から電話をもらいました。子供は、謝恩会のために4時過ぎに会場の目白に出かけ
たのこと。
家内は子供のマンションで一人留守番ですが、話す言葉に家内の安堵の思いが伝わって
きました。

子供が生まれて22年間・・。振り返れば、長かったような、短かったような。
私自身、大学卒業後、本当に色々なことがありました。
子供もまた私と違った荒波に揉まれながら生きていくことになるのでしょう。
本人にはやりたいことがあるようで、ここまできたら夢を実現してもらいたいものです。

今日は遠く広島から一人、お寿司とハイボールで祝うことにしましょう。

「卒業、心からおめでとう!」
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故郷っていい・・ [家族]

来月、親戚関係の四十九日があり出席します。
場所が車で50分ほどかかります。
私の母の生まれ故郷でもありますが、地理に少し不安があったので、午前中、確認の意味で
訪れてみました。

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山々に囲まれ、清流のある自然豊かな場所です。
本当に心が癒されます。

もう一つ、ここ一帯は、いたるところに人形が立ち並んでいます。

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写真の人形も遠くからだと人間と見間違えてしまいます。
この地域は過疎化が進んでいるので、きっと人形を各所に設置することで、寂しくない
ようにしているのでしょう。
ここだけでなく色々な箇所で数十体は目に留まりました。

私は生まれが東京ですが、こうした自然に恵まれた故郷が欲しいものです。

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お父さん ありがとう [家族]

父が6日、母の後を追うように天国に召されました。

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7日通夜、8日葬儀を終え、今静かに遺影を見ながら父のことを振り返っています。

父は、大正、昭和、平成と3つの時代を力強く生き抜きました。

親鸞聖人の教えに「平生業成」という言葉があります。
これは人は死んでからではなく、生きている間に、自らの目標をかかげ、それを達成する
ことが、人生に最大の喜びであることの教えです。
父は平生業成の教えをまさに全うしたと思います。

幼少の頃は神童と呼ばれるくらい成績優秀で、広島幼年学校、陸軍士官学校(終戦を迎え
たため広島高等師範学校に編入)に進みました。
広島や東京の都立高校で教鞭をとります。その後自衛隊発足後入隊し全国を回りました。

定年後再び私立高校の教師、そして私塾や文具店の経営と、自分の立てた夢や目標を一つ
一つ実現していきました。

そこには父なりの人生哲学があり、私たち家族は何不自由なく幸せな生活を送ることが
できました。

私が小、中学生の頃、日曜日になると、東海道自然歩道を歩こうと誘われました。
父と2人で山を歩きながら、たくさんの会話を重ねました。私はまさに父の背中を見て
育ったといえます。

あれだけ歩くことが好きだった人ですので、足が不自由になってからは随分もどかしさ
を感じたと思います。それでも最後まで頭は冴え渡っていました。

天国にいる母が、
「お父さんよく頑張ったね。もうそろそろ楽になったら」と呼び寄せたのでしょう。
きっと今頃、母、そして13年前に亡くなった長男と一緒に、美味しい酒を酌み交わし
ているはずです。

結婚後、親元から離れて暮らしていた私も、最後の1年弱、両親の傍でお世話することが
できました。そしてその最後を看取ることができ幸せでした。
子供として、少しだけ親孝行ができたと思います。
これから数か月間、後処理が残りますが、何れ私は愛知に戻ることになります。

両親や兄の「魂」と共に私は生きていきます。
本当にお疲れさまでした。

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2016年の誓い [家族]

元旦の朝は、おせちと私が作った煮しめのお雑煮で始まりました。

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昨年は両親が一緒で賑やかな元旦でしたが、今年は親子3人、静かなスタートです。

今年1年、後悔することなく、ぶれずに歩いて行きます。

これから、家族3人で、入院している父を見舞いに行ってきます!
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昨日より今日、今日より明日 [家族]

父が入院して4日目を迎えました。

昨日まで、病室を訪れるとほとんど眠った状態でした。
本日は病院の看護師から携帯に電話があり、
「お父さんの口が渇くので、薬局で口内ジェルを買ってきて欲しい」
との連絡を受けました。
病院近くの薬局屋で商品を買い、病室に入ると、父は目を開けていました。

相変わらず、鼻に酸素吸入、その上にマスクをされ、両手は手袋、腕には点滴と、
満身創痍ですが、目を覚ましていたことが嬉しかったです。

脳梗塞の影響で、言葉は聞き取りにくく、会話はほとんど成立しません。
それでも話そうとする姿に、私も話しかけます。

体温を測りにきた看護師が、
「息子さんが来てくれていつもより嬉しそう。」と言ってくれました。

二人きりになったとき、父が聞き取りづらい小さな声で、何度かつぶやきます。
「バ・カ・だ」
と言っているようです。
「バカ?」
と聞き直すと、どうやら、
”この歳になって肺炎にかかった自分のこと”をバカと言っているようです。

そんな父を見ていたら、なぜか泣けてきました。
迷惑をかけて申し訳ないと思っているのでしょうか。
あるいは、自分の思うようにならない体に、もどかしさを感じてのことなのでしょうか。

直後に父の弟夫婦が見舞いに来てくれました。

人は一人では生きていけません。
父が入院している間は、何があろうと毎日顔を見せにいきます。
もう一度しっかりと、会話ができることを信じて!
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気力で乗り越えて! [家族]

午前中、父の入居している老人ホームの職員から電話がありました。

父はここしばらく食欲がなく、食事ができない日が続いていました。
今日の朝食も食べれないため、隣接する提携病院で診てもらったところ、
肺炎にかかっているため入院することになったとの連絡でした。

午後、叔母と一緒に病院にかけつけます。

父はベッドで鼻にチューブをつけたまま眠っていました。

直後院長から、別室で状況説明を受けました。
肺炎の他、新しい脳梗塞が数か所で見つかったとのことです。

病室に戻り、父に呼びかけると、薄っすらと目を開け反応してくれましたが、
再び目を閉じてしまいました。

すっかり痩せこけてしまった父。母が亡くなって、明らかに気力が衰えてきました。
今更生きがいを見つけてほしいというのは酷かもしれません。

私に今できること、ただただ顔を見せてあげること。

頑張れお父さん!
自分はいつだってそばにいるから。

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四十九日法要 [家族]

本日、母の四十九日法要でした。

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愛知から家内、そして何人かの親戚をお呼びして、自宅にて法要、その後、
ご住職もご一緒に外で食事会を行い、午後二時半にすべてを終えました。

自分の心の中で、何か一区切りついたような気がします。
母も本当の意味で天国に召されたのではないでしょうか。

これからのことをじっくり考えたいと思います。
その前に、明日から、一泊で家内と二人、山口県、萩に出かけてきます。
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回想 母について [家族]

家内も愛知に戻り、再び一人っきりの生活となりました。
夜、布団に入ると、つい母のことを考えてしまいます。

小学5年生の参観日のことでした。
クラスの級友が、私にそっと囁きます。

「お前のお母さんって、綺麗だな」

先日母の妹さんから、母の若い頃の話を、聞かせてもらいました。
母の実家は田舎で雑貨屋を営んでいましたが、母はその店の看板娘。
多くの村の若者が、母目当てに店に通っていたそうです。

女学校の頃からモダンな服を着て、洋裁を習い、ファッションショーなどにもでていた
そうです。
洋裁はプロでした。
私が小学生にあがる頃から、中学生を卒業するまで、着ていた服は、ほとんど母の
手編みです。
兄と御揃いで、普段着からよそ行きまで、編み機を使って洋服を仕立ててくれました。
母は自宅で編み物教室を開いて、生徒を教えていたので当然かもしれません。

例えば、この人形の、ドレスも母が作ったものです。

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社交的で、運動神経も抜群でした。
若いころの写真を掲載しましたが、歳を重ねても、いつも笑みを絶やさず、
誰からも好かれていた母。

心から素敵な一生を送ったと思います。

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旅立ち [家族]

母が天国に召されて、一週間が経とうとしている。

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会社を辞めてこちらに戻り、わずか半年間しか一緒に暮らすことができなかった。
少しは親孝行できただろうか。少しは喜んでくれただろうか。

心の準備はできていると思ったが、全身に感じる寂寥感を抑えることは難しい。
今は家内が身近にいてくれることで、精神バランスが保てているのかもしれない。

通夜、葬儀、役所への諸手続き等で、慌ただしく数日間が経過したが、四十九日までは、
感慨にふけることも難しいのだろう。

母は本当にりっぱな女性だった。
癌と闘ったこの3年半、ほとんど弱音をはくこともなく、常に前向きに生き続けた。
死に対しても、どこか達観していた。
自分のことはさておき、救急車で運ばれる直前まで、ホームにいる父を見舞っていた。

母は本当に素敵な女性だった。
若いころから美人で、服のセンスも抜群だった。
60年間も、一国の父を支え続けてきた。
器用で、なんでも事もなくできた。
とても忍耐強かった。
相手を気遣い、笑顔を絶やさなかった。

お酒が好きで、入院する直前まで、一緒に晩酌したね。

お母さん、自分を生んでくれてありがとう。
自分を見守り続けてくれてありがとう。
どんなに感謝してもしきれないよ。

12年前に早逝した兄と、天国で美味しい酒を酌み交わしてね。

父のことは心配しないで。私が必ず最後までみるから。

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病院食でも食べて欲しい・・ [家族]

母が緊急入院して、1ケ月が過ぎました。

入院して以来、毎日見舞いに訪れていますが、日々の変化を見続けることは正直辛いものが
あります。

家内が8月26日から、仕事を休んでこちらに来て、付き添ってくれていることが、心の支えと
なっています。

現状は自力で起き上がることはできず、寝たきりの状態です。
薬の影響か、幻聴、幻覚もあり、会話をすることも難しくなってきました。
それでも私のことは、かろうじて認識してくれているようです。

しばらく点滴のみが続きましたが、一週間ほど前から、口から食事をしています。
体調によって食べれたり、そうでなかったりしますが、看護士の手を借りず、私や家内が
母に食べさせてあげることもあります。

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全てペースト状の食事ですが、食べてくれた時は、本当に嬉しいものです。

食べることが、本当に好きだった母・・。
今日も食べてくれたら・・・・・そう願わずにはいられません。



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残された道 [家族]

昨日、早朝、私は119に電話を入れ、母を救急車で搬送してもらいました。
夜通し、身体の痛みで苦しむ母。うめき声は止まることなく、私も一睡もできませんでした。

かかりつけの総合病院に入り、即入院となりました。

今朝、病院に行き母に会うと、痛みが全くないようで、そこには穏やかな母がいました。
医師から、昨夜、初めてモルヒネを使ったことを告げられました。

母もモルヒネを使ったことは承知でした。

抗がん剤で副作用に悩みながら闘病と闘い続けることも一つの方法でしょう。
母もそうして約3年半も闘い続けてきました。

モルヒネを使うということは、最後の手段です。

でも、一昨日までとは違う母の表情を見て、この選択も仕方ないと思いました。

母とこれから一緒に過ごせる時間を、1分1秒無駄にしたくありません。
また明日、母の顔を見に行ってきます。

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母に想う [家族]

7月24日に、母に同行して総合病院に行ってきました。
7月初旬に撮ったCTの結果を聞きに行くためです。

母が肺がんになって、3年が過ぎています。
その間、イレッサ、タルセバといった抗がん剤を飲み続けてきました。
そのたびに、強い副作用で、下痢、発疹、手足の皮が捲れ出血する等、苦しんできました。

反面、年明けに医師から、「余命は桜の咲く頃」と言われたにも関わらず、こうして7月に
なっても、頑張ってくれています。これも抗がん剤の成果が多少なりともでているからとも
言えます。

24日のCTを見ての診断は、あまり良い結果ではありませんでした。
肺に溜まっている水の量がかなり増えているのも、呼吸が苦しい原因となっています。

母は現在飲んでいる、タルセバを止めたい旨を医師に伝えました。
医師は母の希望を聞き入れ、抗がん剤をしばらく止めることになりました。
副作用は収まるかもしれませんが、がんの進行はこれから早まっていくでしょう。
この日は、溜まっている水を抜いてもらう処置を取ってくれました。

今日も、熱が38度を超えており、寝室で寝ています。

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毎日、母と一緒に生活していて、私のしてあげられることなどしれていますが、
望みを捨てず、一日、一日を精一杯生きている母を、私は見守っていきます。
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祝!ダイヤモンド婚 [家族]

私の両親が、この7月末に、

ダイヤモンド婚

を迎えます。
ダイヤモンド婚は、結婚生活60年という、一般的に知られている金婚式(50年)より、
達成するにははるかに難しいイベントです。

私も結婚24年目ですが、60年は気の遠くなるほどはるか先の数字です。

これも両親が揃って、お互いを思いやり、仲良く元気で暮らしてきた証だと思います。

しかし、父は今は老人ホーム、母は私と一緒に生活しているものの、、癌と闘いながらの闘病生活
を続けていいます。

私は、父がホームに入ってからは、ほぼ毎日のように出向き、会話を重ねていますが、母は、
身体の調子が良い時だけ一緒に顏を見せにホームに行っています。

ダイヤモンド婚に何を贈るのがよいのか思案していましたが、今回手作りのイラスト付き
メッセージを作成し、贈ることにしました。

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このイラストは、ワードで作ってみましたが、父の部屋に飾ってもらおうと、昨日、
愛知から手伝いにかけつけてくれた妻と一緒に贈りました。

これを見てどのように思ってくれたでしょうか・・・・。

会社を辞め、こうして両親と一緒に同じ時間を共有できることを、今は心から良かったと
感じています。
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自分のことは自分で決める [家族]

東京の大学に通う子供から、就職に関するメールが届きました。

子供は今年大学4年生で、当たり前のことですが、就職活動をする年です。

しかし、他の学生と違い、この時期まで企業説明会や面接に行っていないようです。

自分のやりたいことが絞れていないと思うのですが、私も家内もこの件に関しては、ほとんど
聞いたり、アドバイスもしていません。

子供が東京、家内が愛知、私が広島と別々に住んでいることもありますが、
自分の進路は自分で決めるべきという、私自身の信条でもあります。

私も、自分の就職先は、親に意見を求めず、ほとんど一人で決めました。

私も企業に勤めていたときは、立場上、何年と、新卒の最終面接を行い、採否を決めて
きました。その人数は、正直数え切れません。
ですから、企業がどんな学生を欲し、また学生の立場から言えば、どんな点に気を付けて
面接に臨めばよいか、的確なアドバイスをする自信があります。

子供もそのことは分かっているはずですので、何かの時には、電話なりメールなりしてくる
と思っていました。
そして先日、ある企業について、
「物凄く興味を持った仕事(企業)だけども、パパはどう思う?」
というメールが届いたのでした。

私は、すぐにインターネットでその企業を調べ、自分の所感を返信しました。
アドバイスはしますが、最終的には本人の決めることです。
試行錯誤の連続でしょうが、悔いのない行動と結果をだしてもらいたいものです。

来週月曜日から、地元の高校で、2週間、教育実習が始まります。
本人は学校の先生を目指す気はないようですが、この体験で心変わりすることもあります。

何か一つでも、新しい発見ができればいいと思います。
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自分がするべきこととは [家族]

父がホームに入って4日目に、室内で転んで提携病院へ約2週間入院しました。
今は退院して、ホームに戻っています。慣れない生活で本人もどう順応すればよいか不安も
大きいと思います。
私は毎日欠かさず、顔を出すようにしています。
母は体調の関係で、毎日出向くことは難しいため、尚更です。

ホームで暮らす場合、自分ならどんな部屋で過ごしたいか考えます。
無機質で暗ければ、自ずと気持ちも暗くなります。
そうならないように、観葉植物を置いたり、世界遺産のカレンダーをかけたり私なりに考え
少しずつ部屋作りをしています。

愛知に住む家内と相談して、少し早いですが、「父の日」ように、インターネットで絵画を購入
しました。
そして、昨日、部屋の壁に掛けました。

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森林と清流、陽光がさしこむ、気持ちの安らぐ絵にしました。

しかし部屋をどんなに飾ったとしても、やはり顔を見せて会話することが、一番の親孝行では
ないかと思います。
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苦渋の決断 [家族]

親の介護目的で、広島に戻って2ケ月・・・。

5月3日、憲法記念日の今日、父が有料老人ホームに入居しました。
全て私が動き決めました。
4月中、両親と一緒に暮らして、やらなければならないことが見えてきました。

この結論を出すには早すぎると思われるかもしれません。
今でももっとできることがあったと思うこともあります。
しかし、先を見越して最善の方法を考えた結果、こうしなければいけないと直感で考え、
行動に移しました。

広島の地理もよく分からないまま、書籍、インターネットで調べ、候補となる有料老人ホームを
調べ、実際に現地に赴き、これはと思う施設をピックアップしました。

そして、両親と一緒に出向き、話を聞き、父自身にも承諾を得たとき、安堵と、申し訳なさと、
複雑な思いでいっぱいとなりました。しかし、母がいつ何時、再び入院となるか分からない今、
この選択は間違っていないと、心を鬼にしました。

本日午後1時、ホームへ入居します。ここに決めた理由は、

自宅から徒歩10分、いつでも顔を出すことができます。
複数の病院が連携しており、何かあった時でもサポートが万全です。
部屋は当然個室で、部屋も明るく、プライベートが確保されています。

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少しでも居心地がいいように、最大限の努力はしたつもりですが、結果が出るのはまだ先です。
ただ自分自身が老後、自分で身の回りのことが出来なくなっとき、どうすべきなのか、色々考え
させられたことは、間違いない事実です。

今言えることは、時間の許す限り、毎日父に会いに行くことです。
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修業 [家族]

広島に戻って10日が経ちました。

昨日、母が6度目の再入院。父と母は違う病院で、しかも、自宅から正反対の位置にあり、
見舞いに行くにも結構大変です。
なるべく毎日顔を出したいと思っていますが、タクシーでそれぞれ片道2千円の距離のため、
出費も半端ではありません。

時間もないため、自宅から一番近い中古車屋で軽自動車を契約しました。

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納車まで1~2週間かかりますが、車があれば肉体的には随分楽になります。

会社勤めしていたこれまで、ご飯を炊くことも、洗濯をすることも、一度もありませんでした。

しかし、人間その気になれば結構できるものです。
母から入院前に、洗濯の仕方、ご飯の炊き方を教えてもらい、今日も一人で主夫をしています。
昨日、入院している父の下着を持ち帰り、洗濯し、本日午後一で母を見舞い、その後父の病院
に行き、洗濯した下着を置いていきます。

その後自宅に戻り、スーパーで買い出し、自宅に戻り、ご飯を炊き、やっと一息つきます。

男は仕事、女は家事と明確に分けて考えていた面もありましたが、主婦の大変さを身を以て
感じています。

毎日、家内と携帯でやりとりしていますが、今は素直な気持ちで家内に感謝の思いを伝える
ことができそうです。
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広島に戻る [家族]

両親の住む広島に、3月4日、単身で戻ってきました。
今日で5日目ですが、やっとネット環境ができたので、こうして久しぶりにブログを書く気持ち
になりました。

母が昨年4月に、肺がんが再発し、闘病生活が続いています。
父も先月、脳梗塞で倒れ、今は入院しています。
数年前から、このような事態になるのではないかと思い悩み、いよいよ自分が両親を助ける
時と、覚悟を決めました。動かなければ生涯後悔することになると思ったのです。

長年勤めた会社も、先月末、円満に退職することができました。
会社では、多くの人の理解があり、また自分のやりたいことは、ほぼ全てやり遂げた満足感
もあって、思い残すことはありません。
また、今回の決意を後押ししてくれた妻にも、ただただ感謝です。

両親の介護は初めての経験で、どこまでのことをしてあげられるか、正直不安で一杯です。

しかしこれが自分の天命と受け止め、腰を据えて生きていきます。
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一番大切な時間 [家族]

12月30日~1月2日まで広島の実家に家族で帰省しました。
先ほど、12時間かけて実家から車で戻り、こうしてブログをしたためています。

父は高齢、母は大病を患ていますが、こうして一緒にいられる時間がとても大切と感じます。

31日は、母の生家へ車で出かけました。

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母の生家は、写真の通り、山奥の秘境ともいえるところで、自宅のすぐ横には、写真のような
清流があり、私も小学生のころ、夏休みにはこの川でよく泳いだものです。
母も、随分懐かしいようでした。

家に戻ると恒例の宴会です。
今回も例年のごとくご馳走が並びます。

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注文したおせちも、とても豪華です。

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ほとんどお酒も飲まなくなった両親ですが、私たち家族と一緒に食事することで、
久しぶりにアルコールもすすみます。

元旦は、母親のつくったお雑煮・・。

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煮しめのお雑煮ですが、日本一美味しい雑煮だと思っています。


私にとってかけがいのない大切なもの・・・それは間違いなく両親です。

私は一つの決断をしました。
今年、その思いを行動に移します。

2015年は、私、家族、両親にとって、重大な年となるはずです。
でも、これまで生きてきたどんな年より、自分にとって忘れられない年となるでしょう!
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