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2023年を振り返る [振り返り]

2023年を振り返ります。

個人的には総じて良い年でした。数年続いたコロナも落ち着き、マスクを外せる機会が増えた1年となりました。

日本人が大いに躍進した一年でした。
大リーグの大谷選手は日本人初のホームラン王となり、ドジャーズへの移籍が決まりました。藤井聡太竜王名人が史上初のハ冠制覇を成し遂げました。どちらも本当に凄い偉業です。一方エンタメ業界では、ジャニーズ性加害が公表され大問題となりました。

今年も多くの著名人が亡くなられました。ノーベル賞作家の大江健三郎さん、音楽家の坂本龍一さん、タレントの上岡龍太郎さん、歌手の谷村新司さん、もんたよしのりさん、KANさんなど記憶に残る方ばかりです。
政治に目を向けると岸田政権も青息吐息です。自民党派閥の裏金パーティー疑惑や相次いで起こるブレーンの失脚は本当に情けないものがあります。いつの時代でもありましたが、いい加減にして欲しいものです。

世界に目を向けると、ロシアとウクライナの戦争は未だ続き、新たにイスラエルとパレスチナとの戦争が勃発しました。多くの子供達が亡くなっています。本当に悲しい出来事です

私自身と言えば、我慢していた旅行も解禁です。
今年は宿泊旅行は、2月「知多半島と日間賀島」、3月「昼神温泉と馬籠宿」、4月に「長崎県五島列島と軍艦島」、「西浦温泉と岡崎巡り」、6月「東北5県巡り」。
日帰りバスツアーは、7月「東尋坊&一乗谷朝倉氏遺跡復元街並みツアー」、「富士山五合目&握り寿司・甘えび食べ放題ツアー」、8月「上高地」、9月「富山県の観光スポットを巡り」、11月「京都大原三千院」とほぼ毎月のように旅行に出かけました。
歳を重ねると感動を得る機会が少なくなりますが、「旅行」はそれを補ってくれます。

仕事面では、会社のコンテストに応募して入賞することが出来ました。久しく離れていたパワーポイントを使用して作成しましたが、応募総数313点の中から入賞者9名でしたので正直嬉しかったです。

また身近なところでは娯楽として、映画を観に随分足を運びましたし、松任谷由実のコンサートに行くこともできて若返った気がします。
友人との定期的な飲み会も実施でき、お酒は確かに弱くなりましたが、楽しいひと時を過ごすことができました。唯一残念だったのは10年以上通っていた行きつけのスナックが12月で店を閉じたことでしょうか。
消費者物価は高騰しましたが、円安のおかげで、株価は34年ぶりの高値で終わりました。趣味の株式もその恩恵を受けることになりましたが、来年の市場予測は難しいと言えます。

9月にコロナにかかってしまいましたが、1年を通じて体調は良かったと思います。毎日7000歩を継続してきた効果が出ているのでしょうか。何と言っても健康であることが一番です。来年は辰年。六星占術も良い1年なので、是非楽しい年にしたいものです。

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2022年を振り返る [振り返り]

今年もいよいよ終わりです。
毎年この振り返りを行っていますが、この歳になると1年が早すぎます。
以前「チコちゃんに叱られる」でやっていたのですが、何故年齢を重ねると時間が過ぎるのが早いかというテーマを取り上げていました。それは、感激することが少ないからだそうです。確かに経験である程度の予測が立ち、新しい発見が少ないので、刺激を受けることも少なくなっていきます。もっと好奇心や冒険心を培いたいですが、気力・体力をつけるには相当な努力が必要です。

今年も相変わらず「コロナ」が続きました。本当にしぶといです。
私はワクチンを2回で止めました。昨年2度目を受けた後から、右肩に痛みが出て、およそ1年間その痛みが続きました。ワクチンの副作用かどうかは分かりませんが、正直怖くなりました。幸いなことにコロナにはかかることなく今日まできています。
右肩の痛みがなくなった直後には、今度は右腹に約1ケ月鈍痛が発生しました。我慢できない痛みではなかったので、右肩同様病院にはいきませんでしたが、自然と治りました。それにしてもここ数年、身体のどこか不具合が生じています。
これではいけないと、今年の7月から、毎日7000歩のウオーキングと、腹筋や鉄アレイを使っての筋トレを行うようにしましたが、徐徐に体重が減ってきていることは嬉しい出来事の一つと言えます。

今年も多くの著名人が亡くなられました。衝撃的だったのは、元内閣総理大臣の安倍晋三さん。明治、大正期に伊藤博文や原敬の暗殺と同じことが、現代に行なわれた事実が未だに信じられません。
ショックだったのはお笑いタレントの上島竜兵さん。私と同世代ということもあり、その早すぎる死は本当に残念でしかたありません。人は誰しも悩みを抱えながら生きています。そうした悩みの多くは、結局自分で解決するしかないと思います。

世界に目を向けると英国のエリザベス女王が逝去されました。また2月から始まったロシアによるウクライナへの侵攻は未だ続いています。本当に不条理なことですが、早くよい方向に向かって欲しいと心から思います。

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来年は、六星占術では「健弱」になります。健康には十二分に気を遣っていこうと思います。
コロナが終息し、穏やかな1年になるよう願っています。

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2021年を振り返る [振り返り]

2021年を振り返ります。
今年も昨年同様、コロナに悩まされる1年でした。繰り返される「まんえん防止」、「緊急事態宣言」
でまさに忍耐を強いられました。

個人的には、今年ほど病気や怪我で苦しんだ1年はありませんでした。
コロナワクチンの数週間後に右腕に痛みが出て、今なおこの痛みは続いています。ワクチンの副作用と思っていましたが、どうやら「五十肩」のようです。病院には行っていませんが、痛みが続くようなら一度診てもらおうと思います。
8月末には自分の不注意で左足の甲の骨折に見舞われました。ギブス、松葉杖共に生まれて初めての経験でした。この影響で仕事も1ケ月以上休むことになりました。また12月に入って、歯痛のため食事するのも影響がでて慌てて歯医者に行きました。治療で歯は抜かずに済みましたが、未だ歯の違和感は治まりません。これからは3ケ月に一度は歯医者に定期健診のために通おうと思います。
まさに「健康に勝るものは無し!」です。

今期町内会長の任を受け、4月時はかなりのプレッシャーがありました。実際会議、イベントでかなり時間を取られましたが、時間と共に次第に慣れてきました。やって良かったこともありました。同じ町内会に住む方々と話をする機会が増えたことです。日常気薄な近所付き合いも、各種イベントを通じて顔と名前を知ることができました。来年3月に引継会があるので、残された仕事を確実に全うしたいと思います。

政治に目を向けると、総理が菅さんから岸さんに交代しました。安倍さんは長期政権でしたが菅さんは僅か1年での交代です。コロナという不測の事態でかじ取りは難しかったかもしれませんが、もう少しやりようがあったのではないでしょうか。

東京オリンピックも、コロナのため無観客での開催でした。母国開催だけあって、メダルの数も過去最大となりました。テレビ観戦ではありましたが、自粛生活の中では、感動を貰えるイベントだったと思います。

著名人も数多く亡くなられました。個人的には細木数子さん。六星占術の著者ですが、私も昭和62年にこの本に出合って以来、この12周期を意識して生活してきた一人です。今も当時買った本を読み返しています。細木さんなら120歳まで生きると思っていたので残念です。
その他、脚本家の橋田寿賀子さん、レナウン「ワンサカ娘」や都はるみ「北の宿から」の作曲家小林亜星さん、「北の国から」の田中邦衛さん、「古畑任三郎」の田村正和さんなども記憶に残ります。

細木数子さんの六星占術では、来年は私にとって中々良い運気の年でもあります。
コロナによってここ2年、泊まりの旅行にも行けていません。年が明けたら温泉旅行にでも行きたいものです。
来年は病気、怪我とは無縁で、実りある1年になりますように!

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閉館「油壺マリンパーク」 [振り返り]

神奈川県三浦市の水族館「京急油壺マリンパーク」が9月30日で53年の歴史に幕を下ろします。

このマリンパークは1968年に開業したそうですが、その4年後に私は修学旅行でここを訪れました。
当時静岡県御殿場市に住んでいましたが、御殿場小学校の修学旅行で、この油壷マリンパークを始め、城ケ島、鎌倉の大仏、鶴岡八幡宮などを回りました。

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この年の5月には、広島に住んでいて、そちらの小学校では、九州へ修学旅行に行っており、同じ年に二度修学旅行という貴重な経験をしています。

先日ブログで『自分史』について書きましたが、3年間だけ住んだ御殿場にいた時が一番記憶に残っています。この油壷マリンパークもそんな良き思い出の一つといえます。

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『自分史』の意義 [振り返り]

今年に入り、『自分史』を書き上げました。

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以前から『自分史』を書きたいと思い続けてきました。コロナ下にあって、自宅にいる時間も格段に増え、この時とばかり一気に書き上げた次第です。A4でページ数にして50ページ。
文字数28,744文字、使用した写真は166枚です。

某業者に頼むと、記者取材だと130万円、原稿を持ち込んでも80万円位の費用がかかるようです。
また写真掲載も1枚ごとに当然費用に上乗せされ、今回使用した166枚全て掲載しようとすると、莫大な費用になってしまいます。

そもそも何故『自分史』を書こうと思ったのか。それはこんな理由からです。

5月初旬、ネットで中学時代の友人が昨年亡くなっていた事実を知りました。中学2年生の時の同級生です。彼は酒店の息子で、互いにクラスの同じ女子生徒が好きだったことが分かり、それ以来、良きライバルであり良き話し相手でもありました。私が引っ越してからは、しばらく手紙のやり取りをしていましたが、いつしか疎遠になりました。年月が経ち、人づてに彼が横浜にある歯科大学に在学していることを聞きました。更に数十年後、地元で歯科医を開業していることを知りました。ネットで検索するとりっぱなホームページを作成していて、院長として当時の面影を残した顔写真も掲載されていました。近況を知ろうと久しぶりにHPを検索すると、亡くなっている記事が掲載されていました。医院も閉院したようです。記事を読んで驚きと共に正直ショックでした。死因は分かりませんが、もうそういう年齢になったんだと、少々落ち込む自分がいます。と同時に、彼は一体どんな人生を歩んできたのだろうと、ふと思ったのでした。

この歳となって、自由な時間が多くなり、自分の過去を振り返ることが増えました。昔のアルバムを取り出してページを捲ってみます。過去を反芻することが悪いことだとは思いません。振り返りが未来の滋養になることだってあります。私の父は90歳、母は83歳、兄に至っては47歳の若さでこの世を去っています。人の寿命など誰にも分からないものです。私だって、明日命を落とすかもしれません。

父が亡くなる数年前に、父に自分の歩んだ人生の履歴を書いてもらうようにお願いしました。私は自分を生んでくれた父親がどんな人生を歩んできたのか何故か知りたくなったのです。私が大枠の年表を作成し、そこに父が手書きで書き込むことができるようにしました。私の願いに父は何も言わず、書き上げたものを郵便で送り返してくれました。結果的にその資料を読み進める事で、父の生き様や考え方の一部も理解できたような気がしました。
押しつけであってはいけませんが、私も自分の子供に、私の生き方、思いの一面を知ってもらいたいと思いました。読んだところで何も感じないかもしれませんが、それはそれで構いません。

そして私も一度自分の人生の軌跡を整理してみたくなったのです。幸い生まれた時から、父は私を撮った写真を数多く残してくれていました。特に小学校4年生の頃から高校2年生くらいまで、週末を利用したトレッキング(山歩き)の写真が、年代ごとにアルバムに整理されています。また私自身も20代中頃から、自分の日常に起きた出来事を、パソコン上に書きとめてきました。履歴として残してきたおかげで、記憶は曖昧ではなく、具体的な事象をかなり詳細に書くことができそうです。完成したら、この1冊を手元に残せば十分です。膨大なアルバムは,いずれ全て断捨離してしまうほうがよいのかもしれません。子供にとっては、親の写真などあっても役に立たない無用の長物です。ありがたいことに振り返りの時間はまだ十分に残されているのですから・・。

内容の項目はざっと以下の通りです。

◆はじめに
◆誕生       
◆幼稚園時代   
◆家族について
◆小学校時代
◆中学校時代
◆高校時代
◆大学時代
◆社会人時代
◆飲みと遊び
◆忘れられない仕事仲間
◆結婚                
◆マンション購入          
◆子供の誕生と成長         
◆家族旅行
◆兄の死              
◆自宅建て替えと庭 
◆社長就任       
◆会社退職              
◆両親との別れ            
◆趣味について
◆あとがき

それぞれの項目を1ページから4ページ程度にまとめました。 
表紙は、「青春の勲章は挫けない心だ!」としました。これは、昭和47年のテレビドラマ『おれは男だ!』の主題歌「さらば涙と言おう」の歌詞のフレーズです。このドラマ、兄と欠かさず観ていました。

この『自分史』を読み直してみて、色々な気づきがありました。自分自身の振り返りができ、曖昧だった記憶も蘇ってきました。現在も、原稿を手直ししています。写真の差し替えも行っています。ページ数が限定されてるので、より相応しい記憶の思い出を文章として残したいという思いがあります。

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2020年を振り返る [振り返り]

いよいよ2020年も終わりです。
この1年を振り返ります。

「コロナ」一色の1年でした。日本に限らず世界中での感染は、今なお衰えをみせません。
今年開催される予定だった「東京オリンピック」も延期となりました。
私が利用していた飲食店も何軒かは店を閉めました。医療と経済の両立の難しさを痛感します。
志村けんさんや岡江久美子さんなど不幸にもこのウィルスで命を落とされました。ワクチンは
開始されましたが、早くその成果を期待したいものです。
コロナではないですが野球の野村克也さん、俳優の渡哲也さん、作曲家の筒美京平さん、作詞家の
なかにし礼さんなど、著名人の多くの方々もご逝去されました。

政権は安倍さんから菅さんへと変わりました。長期政権の危うさも知ることとなりました。
有事の出来事を収束させることは容易なことではありませんが、菅総理にはもっと強いリーダーシップを発揮して欲しいものです。アメリカも共和党のトランプ氏から民主党のバイデン氏へと変わりましたが、果たして日本にどのような影響を及ぼすのでしょう。

個人的には、今年6月から「血圧」を下げる薬を飲み始めました。ここ5年近く上が150前後、下が100前後ということもあり、医者から薬を勧められてきましたが、節目の年と納得し医師のアドバイスを受け入れました。朝1錠飲むだけなので大きな負担ではありません。これ以上の薬が増えないように健康に一層気をつけます。

それにしても今年は旅行に行くこともなく、思い出に残る出来事は正直少なかったです。
それでも大きな病気(コロナにも感染せず)せず、1年過ごすことができたのは幸せなことかもしれません。

先日、庭の剪定に業者が来てくれました。年内間に合ってよかったです。
私では困難な松も上手に剪定してくれました。

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今年は家のリフォームもしましたし、庭もスッキリし、気持ちよく年を越せそうです。とその前に、部屋の大掃除もしなくては・・。

来年もよろしくお願いいたします!
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三島由紀夫で思い出す [振り返り]

「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」が本日より上映されています。
コロナウィルスが少し落ち着いてきたなら、是非観に行きたいと考えています。
この三島由紀夫に関わる思い出を少し記します。

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◆1970年(昭和45年)11月25日、作家、三島由紀夫が、憲法改正のため
自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に「市ヶ谷駐屯地」で割腹自殺をした

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当時私は小学生でしたが、この三島事件には少なからず衝撃を受けました。
三島がどれだけの大作家であるかは知りませんでしたが、自衛隊駐屯地内で起こったこと
で、なぜか他人事でないような気がしたのです。それは、私が自衛官の子だったからです。

父は自衛隊が発足した昭和29年に、それまで都立高校の教師の職を辞し、自衛隊に
入隊しました。何れ戦争に行くことになるという思いから、勉学に励み広島幼年学校から、
陸軍士官学校に入りました。士官学校予科から本科に進んだ昭和20年に終戦を迎えた
ため、士官学校から教育の最高機関である広島高等師範学校へ編入しました。
卒業後、教師の職についた父でしたが、自衛隊の発足は、士官学校時代の思いを甦らせたの
かもしれません。かくして私は自衛官の息子として、少年時代、転勤生活を繰り返すことに
なります。

私は、三島が自殺した日から3年と4ケ月後に、この「市ヶ谷の駐屯地」を訪れました。
この時は、静岡県御殿場市に住んでいましたが、東京後楽園競技場で、「大シベリア博」
を見るため、父、兄、そして私の3人で東京に出かけました。

「大シベリア博」まで時間に余裕があったため、「市ヶ谷駐屯地」に寄ることになりました。
父が親しくしていた自衛官の同僚がここに勤務していたことで、久し振りの再会を果たす
ためでした。

「市ヶ谷駐屯地」で撮った写真が残っています。

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写っているのは、私と兄です。この写真の背後の建物のバルコニーに立ち、三島は
割腹自殺したのです。
ここで、あんな大事件は起きたことに、子供ではありましたが複雑な思いに駆られた
のです。

その後行った「大シベリア博」。こちらは楽しかった思い出しかありません。

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マンモスの大きさに驚嘆したことをハッキリと覚えています。
2005年に愛知万博でも、冷凍マンモスを見ることができましたが、感動はこの
「大シベリア展」の時の方が大きかった気がします。

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司馬遼太郎の作品を読むようになって、人の一生を深く知ることに興味が湧くように
なりました。三島由紀夫という偉大な作家の激動の人生も然りです。まずは彼の作品を
読んでみようと思います。
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東村山音戸を聴いて思い出す [振り返り]

志村けんさんが亡くなられました。日本で最も人気と知名度の高いコメディアンだったと
思います。ほとんどコメディ一筋で勝負し、シャイで真面目な気質を持った志村さんが
好きでした。

志村さんの歌った「東村山音戸」の歌いだし、

東村山~庭先や多摩湖~


を聴くと、何故か幼少の頃を思い出します。

私の出身地は、東京都小平市です。生まれた当時は北多摩郡小平町でした。
小平駅と東村山駅は西部新宿線で2駅、所要時間で5分と隣接しています。
ちょうど小平霊園を挟んでいる感じです。
小平に住んでいた期間は僅か6年弱ですので、東村山の存在は当時は知る由もないですが、
大人になった今なら、非常に親近感がわきます。

自分の幼少の頃のアルバムのページを捲ってみると、「東村山音戸」の歌詞に出てくる
「多摩湖」で撮った写真がありました。
(通常顔をぼかしますが、半世紀以上前の写真なので顔出しします。私は一番右です。
有刺鉄線の柵が時代を感じます)

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近所で親しかった友人のご家族と一緒に「西武園」に遊びに行った時の写真です。
(私達家族が、愛知県に引っ越す直前にお別れ会として行ったと思われます)

そして、多摩湖畔にある西武園ゆうえんちの「パラトルーパー」に乗っている写真も・・。

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この「パラトルーパー」ですが、ウィッキペディアで調べてみると、
1966年から1984年まで運行していたとのことです。
写真の日付は1966年7月と裏面に書かれているので、できたばかりの遊具だったこと
が分かります。
年齢的に多分生まれて初めて乗った遊具だったはずです。満面の笑みなのでよほど
嬉しかったのでしょう。

誰からも愛された志村さん、心よりご冥福をお祈りいたします。
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2019年を振り返る [振り返り]

2019年もいよいよ終わります。
「平成」から「令和」に変わった年として生涯記憶に残ります。

昨年同様、自然災害が多かった1年でした。特に台風15号、19号は甚大な被害が
生じました。日本全土、どこの地域も満遍なく災害は襲ってきます。

今年も多くの著名人が亡くなりました。
俳優では、萩原健一さん、八千草薫さん。
萩原さんの「傷だらけの天使」は衝撃的でした。ちょっとHなシーンもあって子供ごごろに
ドキドキしながら見ていました。「前略おふくろ様」も実に味なある役を演じていました。

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また「男はつらいよ」でマドンナ役の八千種さんは、シリーズの中でも一番好きでした。
あんな綺麗で可愛らしさも兼ね添えた女優はいません。
国鉄民営化や日米同盟強化に尽力を尽くした中曽根康弘元首相も101歳で亡くなられました。
対米関係で、「ロン・ヤス」関係を築いたのは心に残ります。できれば東久邇宮成彦元首相の
102歳という長寿記録を超えて欲しかったです。

家族での変化は、6月に子供が一人暮らしを始めました。自身もそうでしたが、自立推奨派
ですので、子供の決断は素直に喜んでいます。
勝手気ままにやっていると思いますが、炊事、洗濯一人でこなして、少しは親のありがたみ
を感じているでしょうか・・。

私も家内も、大きな病気やケガもせず1年を過ごすことが出来ました。
外で飲む回数もぐっと減りましたので、お酒での失敗もありませんでした。
「六星占術」での大殺界が今年終えることに、正直ほっとしています。
心配事なく新しい年を迎えることができそうで、こんな幸せなことはありません。

さあ、子供がもうすぐ帰ってきます。皆揃ったら墓参りです。
亡き両親と兄貴、私達家族を見守ってくれてありがとうございます。
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4年振りの再会 [振り返り]

埼玉に住む友人が遊びにきました。
彼とは4年振りの再会です。今年7月に彼が会社を立ち上げたので開所祝いを贈ったのですが、
そのお礼を兼ねて名古屋まで来てくれたのでした。
ランチ後、本人のリクエストで、私の車で名古屋城、本丸御殿を見学する予定でした。
ところが目的地に着くと、駐車場は全て封鎖されています。看板を見ると今日から休園
となっています。仕方なく外堀からお城の写真をパチリ。

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その後、「徳川美術館」に行ってみましたがここも同様に休園でした。
その後私の自宅に行き、しばし小学校時代のアルバムを見ながら思い出話で花を咲かせました。

彼と私は、非常に似た人生を歩んできました。
お互い父親が転勤族で、小学校3年の時、私は愛知から、彼は東京三鷹から広島の同じ
小学校へ転校してきました。またお互い大学を卒業後、就職した先はIT企業でした。
そのおかげで今から12年前に横浜パシフィコで再会することができました。
更にほぼ同じ年月に長年勤めていた会社を早期退職したのでした。
私はそのままセミリタイアしましたが、彼は起業という道を選びました。大きな挑戦です。
人生100年時代といわれるようになったので、これからは彼のような生き方も珍しく
なくなるのかもしれません。無理せずマイペースでやって欲しいものです。

夜、予約しておいた観光ホテルのビュッフェで食事をします。

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「蟹フェア」でしたが、ここはハズレがなく、その美味しさに、友人も大いに喜んで
くれました。その後名古屋駅まで送り、次の再会を約束して別れました。

歳を重ねると、次第に交友関係も狭くなりますが、深く長く付き合える友人として
その関係を大切にしたいと思います。
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外食は当たり前? [振り返り]

昨日、ちょっとした祝い事で、いつも行く「木曽路」で食事会を行いました。
最近流行という「トマトすき焼き」、高騰している鰻も美味しくいただきます。

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豊かな日本では、「外食」は今や当たり前の時代です。
高級ランチ、ディナーであっても、人気店では常に満席ですし、一般人でもファミリー
レストランやチェーン店で気軽に外食を楽しめます。

子供の頃は、外で食べるということはほとんど皆無でした。どこの家庭もそうだったと
思いますが、年に一度くらい出かけるデパートで、お子様ランチを食べることが出来た
時は、嬉しくてしかたありませんでした。
幼児だけでなく、小・中・高と、両親と暮らしていた時は総じて外食は稀でした。
父はアルコール好きで、家で時間をかけてゆっくり飲みたかったのだと思います。
(父は晩酌が欠かせませんでした。夕食はいつも2時間くらいかけていました・・。
付き合う母は大変だったと思います)

中学校当時の日記帳を読み返してみると、家族で外食に出かけたことも記しています。
きっと珍しかったからだと思います。注文した品とその値段も書きとめているのですが、
ラーメン150円、チョコレートパフェ200円、炒めそば180円、天津飯250円
となっています。
(稲葉という店ですが、中華とパフェが両立するとは、今なら相当珍しいといえます)
その値段の安さ、本当に時代を感じます。
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スマホを使って思うこと [振り返り]

スマホに変えて6日が経ちました。通話とメールの使用と割り切っていましたが、
便利な機能の多さに正直驚いています。特にAndroid機種限定、「googleアシスタント」
の便利さには言葉を失います。

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これを開発した技術者は、天才ではないかと思ってしまいます。
今の世代は、OS(オペレーティングシステム)や言語を全く意識することなく、ハードを
使うことができこんな幸せなことはありません。

スマホを触っていると、ソフト開発を行っていた時代を思い出します。
私が初めてコンピューターに携わった時の機種は、NECの大型汎用機でした。
(開発規模に応じて、大きく汎用機、オフコン、パソコンに分類されます)
ACOS2というOSで、言語はCOBOL/Sでした。バッチ処理専門で、最初の2年間だけで
約80本のプログラムを組みました。相当早いペースだったと思います。
文系出身の私にはプログラムの理解は結構大変でした。
ただNECはSPDという構造化技法があったので、これを理解すると飛躍的にプログラム
を組む速度が速くなったと記憶しています。
オンラインと違いバッチ処理は比較的簡単とは言え、バッチ処理で1本、3000stepを超える
プログラムになると、途中訳が分からなくなることもしばしばでした。SEから何度もレビューを
受けて完成させる日が続きました。

平成4年を境に、それまで業務の中心だった大型汎用機から、オープン系に切り替え
ました。会社では第3次オンラインなどの銀行業務が主流だったのですが、
バブル崩壊で全く仕事がなくなったため、汎用の資産を捨てざるおえなかったのです。
PCはそれまでのMS-DOSの世界から、windows3.1、そしてwindowa95へ変化していき
ます。文書、表計算ソフトも一太郎ややロータス123から、マイクロソフトのWordや
Excelに切り替わりました。

汎用機言語のCOBOLやPL/1から離れ、AccessやVisualBasicなどへ変わっていきます。
在職していた会社は、業務系だけでなく組込系の開発もバリバリに行っていたので、
言語もC、VisualC++、Javaなど、相当難しい言語も使わなくてはなりません。
私自身はその頃もう技術からは離れていいましたので、この難しい言語を勉強しなくて
もすみました。(正直幸運でした)
今の技術者は、技術革新が速いので、そういった意味でも大変です。

冒頭言ったように、開発する側は、常に言語、OSを意識して仕事していますが、
使う側は、そんなことを意識することなく、提供されたアプリを自由に楽しむことが
できます。
スマホを手にして色々なアプリを使っていると、そのソフトを提供するために、
徹夜でアプリやOS開発しているSEやPGの姿が、脳裏に浮かんでしまう私でした。
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2018年を振り返る [振り返り]

今年もいよいよ終わりを告げます。平成最後の年末です。
振り返れば、「平成」という年はあっという間だったような気がします。
この30年間は、私にとっては結婚、子供の誕生と成長、自宅の新築、家族の死など、人生の重要な出来事が凝縮したものでした。なかでもその中心は、仕事というカテゴリが占めていいました。
この仕事については、本当に色々なことがあり、しかしそのおかげで実に中身の濃い社会人人生を送れたと思います。

さて、2018年という年ですが、多くの自然災害に見舞われた1年でした。大阪や北海道で大地震、7月には西日本で大豪雨のため、たくさんの方が犠牲になりました。私も気持ちばかりですが、かつて住んでいた広島への思いを込めて義援金を送りました。
猛暑も続きました。名古屋は史上初の40℃超え(40.3℃)を記録しました。異常気象はこれからますます顕著になっていくのでしょうね。

今年も多くの著名人が亡くなられました。年明けには野球の星野仙一さん。新婚当時私が住んでいたマンションからすぐ近くに住んでいらっしゃいました。5月には歌手の西城秀樹さん。「ヤングマン」など記憶に残る歌が実に多かったです。そして女優の樹木希林さんが9月に亡くなりました。母と亡くなった月日が同じでした。個性派女優でしたので、多くのメディアで取り上げられていましたが、本当に素晴らしい女優だったと思います。

今年1年は、「読書」三昧の日々でした。
年間で軽く100冊は超えたかと思います。上期は『東野圭吾』であり、刊行されている本はほぼ全て読みました。下期は『司馬遼太郎』作品でした。恥ずかしながら司馬先生の作品はこの歳になるまで読まずじまいでした。
大学受験は日本史の科目で受験していますが、教科書を暗記することが精一杯で、当時分かり辛かったのが、幕末から明治維新期です。当時、長州や薩摩が尊王攘夷から開国推進への変容の
理由が今一理解できませんでした。それが司馬先生の「翔ぶが如く」や、「世に棲む日日」、「燃えよ剣」、「花神」などで、幕末時を生き抜いた偉人達の生き様と心の移り変わりが分かりました。
特に「翔ぶが如く」のおかげで、今年のNHK大河ドラマ『西郷どん』もよく理解できたものです。

趣味の株式投資ですが、この1ケ月で驚くほど下落しました。今は昔ほど一喜一憂しませんが、
1年程前から株主優待から配当重視に切り替え始めたところだったので、ダメージが大きかった
です。原因の一つである、アメリカのトランプ大統領に恨みの1つでも言いたい気分ですが、
まあ株式投資は自己責任ですので仕方ありません。

私自身は、六星占術で殺界でありながら、特に大きな問題は起こりませんでした。
いつも思うことですが、見えない力によって守られているような気がします。とは言え、健康に不安を感じることもありました。4月には左腕の痛みが半年以上続きました。同じ時期に右手薬指を不注意で骨折しました。10月には体に発疹ができ病院へ行き、11月は喉元に違和感を覚え、診察を受けると「逆流性食道炎」と言われました。どこかしら体の不具合は起きてくるものですね。
子供が28日からインフルエンザにかかり寝込んでいます。最後の最後に、風邪がうつらないように十分気を付けたいと思います。

来年は新しい元号となります。果たしてどんな年になるのでしょうか。

<追伸>
年末年始に飲むお酒を買い出しに行きました。ウイスキーを選んでいると、トリスを
買うと「アンクルトリス」の人形(正確には爪楊枝入れ)がおまけについてくると知り、
これが欲しいがため思わずこのウイスキーを購入してしまいました。

IMG_0442.JPG

スピーカーの上にのせて見ましたが中々可愛です。
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2017年を振り返る [振り返り]

2017年は月日が経つのが本当に早かったというのが実感です。

ここ数年で、これほど穏やかな1年はなかったような気がします。
悩んだり、嫌な出来事がほとんどありませんでした。
気の合う方々と、時々会ってお酒を飲みかわし、自分の趣味に没頭できる時間を
十二分に浸ることのできた1年でした。
体力はほとんど変わりないと思っていますが、1点だけ弱くなったと思うのが、
お酒です。リミットを超えるとすぐに酔ってしまい、記憶が定かでなくなります。
お酒の飲み方だけは十分に気を付けたいと思っています。

病気とは無縁でこの1年を過ごすことができました。ただ家族では、
家内が虚血性腸炎で入院、義母が肺炎、帯状疱疹で療養となりましたが、
大事には至りませんでした。
5年半離れて東京で暮らしていた子供が、愛知に戻ってきました。
仕事はハードのようですが、遣り甲斐を感じているようで、決断は間違って
いなかったことが嬉しいです。真価を問われるのは来年からでしょう。

政治に目を向けると、小池都知事の勢いも衰え、鳴り物入りで立ち上げた希望の党
もいつしか霞んで風前の灯火です。
北朝鮮はミサイル発射を繰り返し、不安を煽り続けています。一体この国はどこに
向かっているのでしょうか。

私の趣味の一つとして「将棋」があります。この将棋界では大きな二つの出来事
がありました。
一つは、従来の記録を破る藤井4段の29連勝。そして羽生さんが永世竜王を獲得し、
前人未到の永世7冠となりました。国民栄誉賞にふさわしい快挙といえます。

来年六星占術では、大殺界のど真ん中の「停止」となります。
当たらないように万全の準備をして、できる限り穏やかな日々を過ごしたい
ものです。
このブログも開始してから11年が過ぎました。
日記代わりにつけていますが、日々の何気ない出来事を書くには、持って来いの
ツールといえます。
来年はどんなことが書けるのか今から楽しみです。
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2016年を振り返る [振り返り]

今年もいよいよ終わりを迎えます。

年初、父が亡くなりました。天命とはいえ、母に続きとても悲しい出来事でした。

毎年、この時期は、片道7時間かけて車で里帰りしていました。大変ではありました
が、年に一度、親に元気な姿を見てもらえることは喜びでもありました。
そして両親と一緒に飲むお酒は実に美味しかった・・・。

葬儀、四十九日、家や借家の後処理で、愛知に戻ったのは10月中旬となりました。

ほっとすることもありました。
子供が無事大学を卒業し、社会人となり親から自立していきました。
長いといえば長かったですし、早いといえばそうにも思えます。
ただ苦労したという思いは微塵もありません。やはり子供の存在は大きいです。

政治、経済に目を向けてみると、6月に英国がEUを離脱しました。
過去の失敗を繰り返さないために、結果が発表されると同時に、保有していた
株式の8割をいったん売却しました。思ったほど値は下げませんでしたが、
超優良企業株にシフトすることで、利益を確定することができました。
円安、株高の大きな原動力は、アメリカの大統領選挙で、ドナルド・トランプが
勝ったことも大きな要因です。選挙の結果には驚きましたが、資産を増やすことに
繋がったのですから良しとすべきかもしれません。
一方日本でも、小池さんが女性初の都知事になりました。築地問題や、オリンピック
施設問題等、今後の動向に注目です。

私自身、11月から仕事復帰したことも一つの決断でした。
広島に戻った際は、このままリタイアするつもりでいましたが、いざ親の介護を
終えると、もう少し外の空気を吸っていたいという気持ちが強くなりました。
労働時間は極めて短いものの、復帰してよかったと思っています。

「六星占術」では来年から大殺界に入ります。
30年以上この六星占術を信じて生きていた私にとって、向う3年間は、
試練の年となることでしょう。しかしその期間の過ごし方も理解している
つもりです。

今の自分には心配すべきことがありません。
泰然自若の構えで生きていきます。
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2015年を振り返る [振り返り]

今年は生涯で忘れられない激動(変動)の1年となりました。

2月一杯で、長年勤めた会社を辞めました。
両親の介護目的が一番ではありますが、それだけではありません。自分の人生設計
の中で、思い描いていた年齢に達したことも大きな理由と言えます。
会社の業績は、過去最高の売り上げを達成することができ、思い残すことなく、
後進に託すことができました。

3月に戻った時には、父が脳梗塞で入院、母が入退院を繰り返す状況でした。
足となる車を購入し、これまでやったことのない、料理、洗濯を覚えました。
4月は、父母3人で暮らすことができた唯一の期間でしたが、今後のことを考え、
老人ホームを探し、父に入居の決断をしてもらいました。
母が元気であれば、在宅介護を選択したでしょうが・・・。

5月から、病院とホームを訪問する日々が続きました。
家内には愛知から毎月数日間、ヘルプに来てもらいました。

そんな両親も7月には結婚60周年(ダイヤモンド婚式)を迎えることもできました。
二人にとって目標にしていたこともあり、本当におめでたい出来事でした。

それでも人間の死は、何れはやってくるものです。
9月に母はその生涯を終えました。
3年半に及ぶ闘病生活は、辛いことが多かったはずです。それでも、
痛み、苦しみを正面から受け止め、凛とした生き様を忘れることはありません。

父は、年末肺炎を起こし入院となりました。脳梗塞が進行し、会話が伝わりにくく
なりました。
今現在も、酸素マスクをはめたたまま入院生活が続いています。

父の入院がなければ、年末年始愛知に戻ろうと考えていましたが、それを止めて
こちらにいることにしました。代わりに家内と子供が31日に来てくれることに
なりました。正月、父に家族の顔を見せてあげることができます。

振り返れば、生と死について考えさせられた1年でした。しかし間違いなく
将来自分自身どうすればよいのか、気づきを与えてもらったような気がします。

自分の天命は、生まれた時から、決まっていると信じています。
ですから自分の決断に後悔だけはしないよう、ベストを尽くしていきます。
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思い出はお金では買えない [振り返り]

先月埼玉から遊びに来た、小学校5、6年生時の同級生から、
この小学校の卒業アルバムが郵便で送られてきました。

私は小6の1学期終了後静岡の御殿場に転校したため、この学校の卒業アルバムは
持っていません。
10月に彼と一緒に小学校を訪れたり、一緒に遊んだ場を巡る中で、当時の写真を
送る約束をしてくれました。

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本当の卒業アルバムは。彼にとっても大切なモノであり、送られたものは、
1枚、1枚丁寧にスキャナでスキャンし、それを写真として印刷されたものと思います。
市販のアルバム帳に他のクラスの写真も合わせて作られていました。

DSCN2216.JPGDSCN2215.JPG


忘れていた名前も、思い出すことができ、当時の記憶が鮮やかによみがえってきました。

さっそく、感謝の手紙を書きました。

生涯、大切に付き合いを続けたいと思っています。
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山本昌 お疲れさまでした! [振り返り]

本日、広島VS中日戦がありました。

中日の山本昌投手が、打者一人だけですが、最後の登板でした。
結果は、丸をセカンドゴロに打ち取りました。

DSCN2027.JPG

私は現在、広島で暮らしていますが、愛知に自宅があり、愛知が終の棲家とも
いえます。

私が結婚したのは平成4年ですが、その年、千種区に一目惚れするマンションがあり、
身分不相応ではありましたが、思い切って購入しました。
14階建ての13階、見晴らしもよく、リビングから、ワインを飲みながら夜景を見る
日々は、正直当時流行ったトレンディドラマのような生活でした。
(バブル期とはそういう時代でした)

このブログでも以前書きましたが、このマンションの住人に、山本昌投手
がいました。

私より少し若かったですが、当時は最多勝をとるなどすでに一流投手でした。
エレベータや駐車場で顔を合わせた時に、気さくに挨拶してくれる好青年でした。

縁あって、平成5年、山本昌が最多勝、最優秀防御率を取った年にいただいた、オリジナル
時計と色紙。

IMG_0565-6efdf.jpg IMG_0566-958b6.jpg

今も大事に持っています。

出会った年から22年が経っています。その長い期間を第一線で実績をあげてきた
ことは、本当にすごいこと。
あなたの戦歴は、未来永劫、記録にも記憶にも間違いなく残るはずです。
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過去を反芻することは [振り返り]

私は父の仕事の関係で、転校の繰り返しで、5つの小学校に在籍していました。

以前このブログでも書いたことがありますが、本日その一つ、小学校3年生の2学期から
小学校6年生の1学期まで在籍していた、海田小学校を訪れてみました。

この小学校、三段跳びで日本人初のオリンピック金メダリスト、織田幹夫 氏の出身学校でもあります。

私にとっては、今から40年ちょっと前になりますが、校舎は当時と全く変わって
いません。

DSCN1775.JPG DSCN1779.JPG

そして今は珍しくなった二宮金次郎の銅像。

DSCN1776.JPG

私がいた頃とは、建立されていた位置が違っていましたが、しっかりと残っていました。

過去を振り返ることは、年を取った証拠ともいわれますが、私は違った思いがあります。
過去を振り返ることは、未来の滋養につながると信じています。

機会があれば、どんどん昔の自分の軌跡を確認したいと思います。

自宅に帰って、今晩の夕食。

DSCN1780.JPG

手の込んだ料理は作れませんが、家内に言われる通り、野菜はしっかりとる生活を心がけます。
自分で炊くご飯は最高です!

明日は両親の見舞いに・・。
両親の元気な顔を見ることができると信じて。
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2013年を振り返る [振り返り]

2013年もいよいよ終わりです。
今年は健康面で色々なことがありました。
4月に転んで、左脇腹の骨にひびが入りました。10月には尿管結石で、生まれて初めて入院、
手術を経験しました。また11月には再び転んで顔面に大怪我(ちょっと大袈裟)をしました。
顔の傷は癒えて、今はほとんど目立たなくなりましたが、一時はどうなるかと思いました。

4月、11月の怪我は、いずれもお酒を飲んでの不注意が原因でした。
気が付くとめっきりアルコールに弱くなっていました。神様のお仕置きだったのかもしれません。
反面、年初にダイエットを行い、今現在もリバウンドせずに目標の体重をキープしています。
ウエストも6㎝以上減り、スリムなジーンズがはけるので正直嬉しいです。

来年は占いからすると、運気が高まるようなので、期待しています。
数年前から力を入れている株主優待も、来年からNISAが開始されるので、上手く利用したいと
思います。
仕事面では、新しいビジネスを考えています。多少マンネリに入っている面もあったので、
こちらも真剣に取り組んでいくつもりです。

年末お客様から、啓翁桜をいただきました。

DSCN1448.JPG

一足早く花を咲かせる「みちのく初桜」で、つぼみが開花すると、薄紅色の可憐な花が美しく
咲きそろい、ほのかな香りがします。

明日から広島に帰省です。
1年ぶりに両親に会いますが、いい年末年始を過ごしたいものです。
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2012年を振り返る [振り返り]

今年も色々なことがありました。ブログに留めておこうと思います。

まず家族では、なんといっても子供の大学進学です。彼女にとっては初めての1人暮らし。
慣れない生活に苦労もあったはずですが、色々人生経験を積んでいるはずです。

3月に母親に肺がんが見つかりました。とても驚き悲しかったですが、手術は無事成功
したので心から安堵しています。
義母が8月に自宅を改築しました。素敵な台所、寝室に生まれ変わり、快適な暮らしを堪能
されています。

個人的には体のことを考え、お客様や社員とお酒を飲む回数を減らしました。
お酒で消えていった小遣の一部を、株式投資の資金にあてています。
昨年、株では大損をしましたが、再び優待中心の売買に変えています。

趣味の腕時計で、欲しかった「ブレゲ」と「ジラール・ペルゴ」を購入することができました。
飽きることなく、交互に装着しています。
仕事の面では、会社の業績を大きく伸ばすことのできた1年となりました。
リーマンショックから足掛け3年でV字回復を果たすことができました。
是非弾みをつけて来年につなげたいものです。

政治は昨年同様混乱を極めました。正直、民主党の3年間は、とても評価することはできません。
消費税、原発、TPP,課題は山積です。新しい政党には期待したいと思います。
時代を牽引してきた一流企業が大赤字です。今や青息吐息の状態です。
方向性を誤れば同じ道をたどる可能性は大いにあります。気を引き締めなくてはなりません。
中国や韓国等、アジアの隣国との軋轢がひどくなる一方です。政治と経済は包括的に考え、
進めていく必要があります。新政権にこれも期待したいと思います。

来年は「巳年」。地に足をつけてしっかりと歩んでいきたいものです。

30日から広島に家族で帰省します。車で片道約7時間。
久しぶりに両親に家族全員の元気な姿を見せることができそうです。
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2011年を振り返る [振り返り]

2011年もいよいよ終わりに近づきました。
今年も時が過ぎるのが早かったと思う面と、この1年も何とか無事終えれるという安堵感があり
ます。
東日本大震災という辛く悲しい出来事のあった年でもあり、生涯忘れられない1年となるはずです。

個人的にいくつかの投資をしている私にとって、株式市場は大変厳しかった1年でした。
所有する株の何銘柄かは、これでもかというほど大暴落しました。
単に業績に左右されるだけではなく、正業から外れたことをしたり、天変地異等の影響を受けたり、
世界経済の動向だけでなく株価の変動要素はとても多く存在します。
今はキャピタルゲインを追うより、優待や配当狙いのインカムゲイン狙いのほうが無難かもしれま
せん。

会社と言えば、年初に立てた事業計画の数値はほぼ達成することができ、かなり手ごたえを感じる
1年でした。やはりビジョンを明確にすることが大切です。
今の政界は、自民党も民主党もだらしないの一言で、期待できる政治家は皆無です。
自民党は野党になって以来、かつて民主党が野党であった時と全く同じ姿勢であることに失望して
います。
大阪市長になった橋本さんには個人的に頑張って欲しいものです。並みの精神力では、あれだけ
の個人的な誹謗中傷を乗り越えられる人物はそうはいません。

子供は年明けていよいよ大学受験。方向性を決めているのでもう迷いはありません。
25日から今日までの3泊4日で、冬期講習会で東京へ行ってきました。
あとは希望する大学合格を目指すのみです。悔いの無い日々を送って欲しいものです。

私は30日から広島へ帰省です。今回は私一人、新幹線での帰省なので、車の運転がないだけ
気持ちが楽です。顔を見せることが親孝行の証。ゆっくりと話をするばかりです。
iPADを持参して、子供の楽器演奏するDVDも見てもらうことにします。

自分自身、自分を取り巻く全ての人々の健康と幸せを願って、今年最後のブログとさせていただき
ます。
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2010年を振り返える [振り返り]

今年1年は、本当に時が経つのが早かったと感じています。
それだけ色々なことが国、会社、そして私自身に起こったと言えます。

5月にiPadが日本に上陸、ツイッターも浸透し、私が身をおくIT業界も大きく変化しています。
電子書籍元年といわれ、日本でも電子書籍が次々に発売さました。

政局といえば、民主党に変わって以来、特に政治や経済は混迷を極めています。
尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件等で国家間の関係も悪くなるばかりです。
本当に、「もっとしっかりしろ!」と渇をいれたくなります。

反面日本の誇れる話題もありました。
小惑星探査機「はやぶさ」帰還や、サッカーW杯で日本がベスト16に入るなど、そのいくつ
かは大きな感動を与えてくれました。

私にとって今年の6月、仕事関係でとても大きな出来事があり、プレッシャーで押し潰され
そうになりながらも、何とか乗り切ることができました。来年以降も同じ重圧を抱えながら
仕事をしていくことに変わりはありませんが、全てが天命と悟り、やっていこうと思っています。
六星占術では、来年からの10年が、私にとっては最高に良い(金銭面ですが)年になる
と書かれています。ずっと信じて行動もしてきたので、精力的に活動していくつもりです。

身内においては、父が結局年齢のことを考え、手術をしないことになりました。
(正確には、しばらく様子をみるということです)
明日家族で広島に帰省し、昨年と同じ「湯来ロッジ」に両親と一緒に一泊します。
両親が動ける間に、少しでも孝行したい、そんな気持ちで一杯です。
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2009年を振り返る [振り返り]

2009年もいよいよ終わりです。
若い頃は全く感じませんでしたが、ここ数年は年末が近づくと、なんとか今年もやりぬく事が
できたという安堵感で一杯になります。

不安定な景気は一向に回復の兆しが見られず、政権交代に期待した多くの人達のため息が
聞えてきます。

会社もこの1年、色々なことがありました。
バブルがはじけた平成4~6年時と比べると、会社そのものが強くなっていて、それほど
慌てずじっくり戦略を立てて取り組めたような気がします。

家族に目を向けると、子供の高校受験、兄の七回忌、初めての北海道旅行などが記憶に
残りますが、大病も無く過ごせ良かったと思います。

明日から広島に帰省ということで、午前4時半に自宅を出発します。
(片道8時間は長いですが、ETCが有効に利用できそうです)
昨年は娘の高校受験のため私1人で帰省しましたが、今年は家族に加えて家内の母も
一緒です。私の両親から是非一緒にと言われました。
30日は湯来温泉に一泊予約をしてくれており、久々に皆で顔を合わせます。

2009年も何とか無事に過ごすことができました。
これも家内をはじめ、自分を取り巻く多くの方々のおかげです。

明日が早いのでこれから寝ることにします。
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りんご飴 [振り返り]

家内と2人で市民祭に出かけます。
空の青さは深まり、秋風を肌身に感じます。
所狭しと屋台が立ち並び、バザーなども開かれ多くの人手で賑わっています。
IMG_1479.JPG IMG_1480.JPG

たこ焼き、鯛焼き、焼きそば、チョコバナナ・・・。
私はふと立ち止まりました。それは「りんご飴」を売っている屋台でした。

子供の頃の記憶が蘇ります。
小さかった私は、父と兄と一緒に縁日に出かけました。
屋台を見て歩くことは、とても楽しいものでした。
多くの屋台の中で私は、父に向かって、
「あの赤いりんごが食べたい。」とおねだりしました。
普段滅多にお菓子など買ってくれることのなかった父ですが、
その時は、私と兄に真っ赤に色付いた大きそうなりんご飴を選んで買ってくれたのでした。

生のりんごにからめた甘い飴の味が、数十年経った今も決して忘れられません。
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七回忌~広島 [振り返り]

先ほど広島から戻ってきました。

昨日兄の七回忌でした。
土曜朝一で新幹線に飛び乗り広島に行きます。
父母達と一緒に、しめやかに七回忌を行いました。
父の願いで、今回は初めてお寺(正楽寺)にうかがい、お経をあげていただきました。

正楽寺3.JPG 正楽寺2.JPG
ご住職の心温まる説法も頂戴しました。

一泊し、子供の頃3年間住んでいた町に寄り道します。
兄が1学期間だけ在籍(転校のため)していた高校や、私がよく遊んだ公園や、瀬野川など
大変懐かしかったです。

瀬野川2.JPG 海田高校.JPG
公園.JPG 瀬野川1.JPG
瀬野川4.JPG 瀬野川3.JPG
その後、MAZDAスタジアムを車中からパチリ・・・
球場.JPG
新幹線を待つ間、広島駅で久し振りに「広島風お好み焼き」(やはりおたふくソースは美味しい!)
を食べ、慌しくこちらに戻ってきました。
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兄の七回忌を終えて、正直ホッとしています。
亡くなってからも、不思議にいつも見守られて入る気がします。
私もいつしか兄の年齢を超えました。これからも頑張て生きていきます。

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とんぼ発見!(故郷) [振り返り]

いつまで猛暑が続くかと思えば、実る稲穂をバックに、一匹のとんぼを発見します。

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秋は静かに近づいているのですね。

この風景、私にとって実は思い出の場所。変わっていません。懐かしい。

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山本昌投手からの贈り物 [振り返り]

中日ドラゴンズの山本昌投手が200勝を達成しました。
今日ばかりは巨人ファンの私も、個人的に山本昌の応援です。

彼は、過去3度の最多勝や、最年長ノーヒットノーランなど輝かしい実績があります。
初勝利は、入団5年目という遅咲きです。
他の200勝している投手は、一番遅い初勝利でも入団3年目です。

その粘り強さ、忍耐強さ、そして運の強さとあわて本人の努力が一体となって、今の輝き
があることは間違いありません。


山本昌投手とは、昔名古屋市内で同じマンションの住人でした。
(3年くらい一緒だったと思います)
私より少し年下でしたが、エレベータで会うと挨拶をしてくれたり、世間話をしたりと、
とても気さくな人柄でした。

当時(1993年)山本選手は絶好調で、最多勝、最優秀防御率になった年でもありました。
自宅で書いてもらったゴム印入りの色紙、最多勝の記念に作った限定品の置時計もいただき
ました。

これは、私のお宝です。

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本当に心からおめでとう!

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思い出を語る(海田町) [振り返り]

12月29日深夜、広島の実家に着きました。
12月30日、車で訪れようと決めていた場所があります。
28日に掲載した「雷雨のち晴天」でも書きましたが3年間過ごした場所です。

私の実家は広島市内ですが、その実家から車で1時間もかかりません。
(広島市内は横断するのにアッと言う間です)

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思い出を語る(小平市) [振り返り]

11月21日~22日は、東京出張でしたが大変中身の濃い仕事ができました。
週明けが楽しみです。
22日は遅くなったこともあって、名古屋に戻らずもう一泊することにしました。
クリスマスでもないのに、ホテル近郊はイルミネーションがとても綺麗です。

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