回想 母について [家族]
家内も愛知に戻り、再び一人っきりの生活となりました。
夜、布団に入ると、つい母のことを考えてしまいます。
小学5年生の参観日のことでした。
クラスの級友が、私にそっと囁きます。
「お前のお母さんって、綺麗だな」
先日母の妹さんから、母の若い頃の話を、聞かせてもらいました。
母の実家は田舎で雑貨屋を営んでいましたが、母はその店の看板娘。
多くの村の若者が、母目当てに店に通っていたそうです。
女学校の頃からモダンな服を着て、洋裁を習い、ファッションショーなどにもでていた
そうです。
洋裁はプロでした。
私が小学生にあがる頃から、中学生を卒業するまで、着ていた服は、ほとんど母の
手編みです。
兄と御揃いで、普段着からよそ行きまで、編み機を使って洋服を仕立ててくれました。
母は自宅で編み物教室を開いて、生徒を教えていたので当然かもしれません。
例えば、この人形の、ドレスも母が作ったものです。
社交的で、運動神経も抜群でした。
若いころの写真を掲載しましたが、歳を重ねても、いつも笑みを絶やさず、
誰からも好かれていた母。
心から素敵な一生を送ったと思います。
夜、布団に入ると、つい母のことを考えてしまいます。
小学5年生の参観日のことでした。
クラスの級友が、私にそっと囁きます。
「お前のお母さんって、綺麗だな」
先日母の妹さんから、母の若い頃の話を、聞かせてもらいました。
母の実家は田舎で雑貨屋を営んでいましたが、母はその店の看板娘。
多くの村の若者が、母目当てに店に通っていたそうです。
女学校の頃からモダンな服を着て、洋裁を習い、ファッションショーなどにもでていた
そうです。
洋裁はプロでした。
私が小学生にあがる頃から、中学生を卒業するまで、着ていた服は、ほとんど母の
手編みです。
兄と御揃いで、普段着からよそ行きまで、編み機を使って洋服を仕立ててくれました。
母は自宅で編み物教室を開いて、生徒を教えていたので当然かもしれません。
例えば、この人形の、ドレスも母が作ったものです。
社交的で、運動神経も抜群でした。
若いころの写真を掲載しましたが、歳を重ねても、いつも笑みを絶やさず、
誰からも好かれていた母。
心から素敵な一生を送ったと思います。