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東村山音戸を聴いて思い出す [振り返り]

志村けんさんが亡くなられました。日本で最も人気と知名度の高いコメディアンだったと
思います。ほとんどコメディ一筋で勝負し、シャイで真面目な気質を持った志村さんが
好きでした。

志村さんの歌った「東村山音戸」の歌いだし、

東村山~庭先や多摩湖~


を聴くと、何故か幼少の頃を思い出します。

私の出身地は、東京都小平市です。生まれた当時は北多摩郡小平町でした。
小平駅と東村山駅は西部新宿線で2駅、所要時間で5分と隣接しています。
ちょうど小平霊園を挟んでいる感じです。
小平に住んでいた期間は僅か6年弱ですので、東村山の存在は当時は知る由もないですが、
大人になった今なら、非常に親近感がわきます。

自分の幼少の頃のアルバムのページを捲ってみると、「東村山音戸」の歌詞に出てくる
「多摩湖」で撮った写真がありました。
(通常顔をぼかしますが、半世紀以上前の写真なので顔出しします。私は一番右です。
有刺鉄線の柵が時代を感じます)

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近所で親しかった友人のご家族と一緒に「西武園」に遊びに行った時の写真です。
(私達家族が、愛知県に引っ越す直前にお別れ会として行ったと思われます)

そして、多摩湖畔にある西武園ゆうえんちの「パラトルーパー」に乗っている写真も・・。

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この「パラトルーパー」ですが、ウィッキペディアで調べてみると、
1966年から1984年まで運行していたとのことです。
写真の日付は1966年7月と裏面に書かれているので、できたばかりの遊具だったこと
が分かります。
年齢的に多分生まれて初めて乗った遊具だったはずです。満面の笑みなのでよほど
嬉しかったのでしょう。

誰からも愛された志村さん、心よりご冥福をお祈りいたします。
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『播磨灘物語』 [本]

司馬遼太郎の『播磨灘物語』を読みました。

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主人公は軍師、黒田官兵衛です。戦国時代末期の異才です。
以前読んだ「箱根の坂」の主人公、北条早雲の生き様も感動しましたが、この黒田官兵衛も
早雲に劣らず魅力ある人物です。2014年の大河ドラマでも岡田准一さんが官兵衛役を
熱演していました。

天才軍師ゆえ、抜群の信頼をしていた豊臣秀吉さえ彼を警戒していたのも頷けます。
警戒と同時に嫉妬していたのかもしれません。自分より能力のある人間を疎ましくなるのは、
人間の性といえましょう。それを察して早々と息子に家督を譲ったのも、官兵衛らしいと
いえます。千利休と同じ道(切腹)を辿るのを回避した可能性は大です。

黒田官兵衛を凄いと思う点は数多くあります。

一つには生に対する執念。謀反を起こした荒木村重を説得しに行き、捕らえられて1年以上
牢獄に閉じ込められ、足も変形したにも関わらず、決して生きることを諦めませんでした。

一つには城主小寺藤兵衛を最後まで見捨てなかった忠誠心。藤兵衛の嫉妬が、官兵衛の
幽閉に繋がった説もある中、普通なら復讐心があってもおかしくはありません。

一つには備中高松城を水攻めすることを秀吉に進言したアイデアマン。また本能寺の変で
中国大返しを助言(殿チャンスですよ!)したのも官兵衛だとすると、秀吉にとっては
最高の名参謀だったはずです。

天下は取りたいが決して無理はしない。人に従う時も謙虚ですが、必要以上に媚びない
官兵衛は、仮に10倍の敵がいようとも勝つ男と言えます。

官兵衛は一人も側室を置かず、生涯、妻光だけを愛し続けてきたというのがこれまでの
定説でした。しかし、先日BSプレミアム「偉人たちの健康診断」で、官兵衛の死の原因
は梅毒と解説していました。それが本当なら、美談もすこし色褪せますが、人間らしいと
いう捉え方もできます。

現代においても、仕事で成功するためには、2つのファクタが必要であることに気づか
されます。一つは自分を引き上げて(認めて)くれる人間に出会うこと。秀吉の場合、
間違いなく織田信長でしょう。二つ目には、優秀なブレーンがいること。自分一人でやれ
ることは限界があります。片腕となって動いてくれる部下がいて、成果は2倍にも3倍に
も跳ね上がります。官兵衛のような部下が欲しいと思う経営者は多いはずです。しかし現実
には、そうした人物は中々いないものです。

それにしても、官兵衛をはじめとする歴史上の英雄に実際に会ってみたいものです。
そんな空想に耽っていると、瞬く間に時間は過ぎていきます。
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養老の滝と千代保稲荷神社 [旅行・ドライブ]

気温も20度を越え、絶好のドライブ日和です。
家内と一緒に「養老の滝」「千代保稲荷」に行ってきました。

高速岐阜羽嶋インターを降りて養老公園の一番奥深い山中に「養老の滝」はあります。
目的地までの道幅は狭くて、対向車がくるたびにヒヤヒヤの連続です。(何度か路肩の
ある場所までバックせねばなりません)
肝を冷やしながらやっとの思いで到着した滝近くの駐車場は有料で、千円と少々お高い
です。気を取り直して5分ほど歩くと、落差のある滝が視界に広がります。

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養老の滝は、岐阜県養老郡養老町にある落差32㍍、幅4㍍の滝です。
岐阜県により設置された養老公園内にあり、揖斐関ヶ原養老国定公園に属しています。
日本の滝百選・菊水泉として名水百選に選定されていることでも知られています。
日本昔話にも養老の滝は、『親孝行な木こりが、湧き出た水をひょうたんに汲み、
父に飲ませると若返った』という孝子物語がありました。

近くから見ても、距離を置いてみても飽きることはありません。

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次の目的地である「千代保稲荷神社」へ向かうため滝から山中を下っていると、
石碑を見つけました。

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「元正天皇行幸遺跡」と刻まれています。この地を行幸した元正天皇は、
『醴泉は、美泉なり。もって老を養うべし。蓋し水の精なればなり。天下に大赦して、
霊亀三年を改め養老元年と成すべし』との詔を出し「養老」に改元したとのことです。
元正天皇は第44代女天皇(在位:715年10月3日ー 724年3月3日)。 父は天武天皇と持統天皇
の子である草壁皇子、母は元明天皇となります。

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地元では「おちょぼさん」の愛称で親しまれている「千代保稲荷神社」

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日本三大稲荷の1つとも言われ、季節を問わず年間二百万人もの参拝者が訪れるそうです。
コロナウィルスの影響で人出は少ないのではと思っていましたが、杞憂でした。実に多くの
人が参拝していました。

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千代保稲荷参道には、100軒以上のお店がズラリ並んでいます。立ち食いや食べ歩きが
時間を忘れて楽しめます。

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中でも「おちょぼ名物」の串カツは、店頭での立ち食いが醍醐味です。

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山のように積まれた熱々の串カツをどて煮の味噌に浸けて、キャベツと一緒にいただきます。
私も串カツ、どて煮の両方いただきましたが、何本でもいけます。他店で買ったたい焼も
食べ歩きして楽しみます。

これとは別に、生まれて初めて食べたものがあります。「なまず」です。
やまとというお店で、なまずの蒲焼がメニューにあり思わず注文してしまいました。
「なまずランチ」は秋篠宮殿下が、命名したと書かれていました。

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見た目はグロテスクですが、味は鰻に比べてあっさりしていて中々美味しかったです。
少々小骨が多いのが難点でしょうか。
それでもこの歳になって初めて食したので、記憶に残るものとなりました・・。

先週に引き続き、少々遠出をして、名勝や美味しい食事を堪能しました。
気候もいよいよ春らしくなってきており、コロナウィルスで消沈せずはりきって
いこうと思います。
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ぎふ清流里山公園 [旅行・ドライブ]

朝から晴天に恵まれていたので、家内と一緒に「ぎふ清流里山公園」までドライブに
出かけてきました。

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「ぎふ清流里山公園」は、岐阜県美濃加茂市の日本昭和村を2018年4月、里山を
コンセプトとする施設として名前を変えてリニューアルオープンしました。
日本昭和村を訪れたのは2007年10月ですので、実に12年半ぶりとなります。

https://tomo35.blog.ss-blog.jp/2007-10-13

その時は、名誉村長である中村玉緒さんも来ており今では懐かしい思い出です。

ぎふ清流里山公園となって、驚くことに入園料は無料です。駐車場も同じく無料でした。
昭和村の時にあった建物は壊さずにそのまま利用されていました。

入門した右手に「昭和座」の建物があります。コロナウィルスの影響で閉館していたのが
残念です。

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ちょうど菜の花畑が見頃でした、伊良湖の菜の花ガーデンのような規模は無いですが、
心が癒されます。

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園内にはレストランも有り食事も楽しめます。

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昭和村の時にあった「やまびこ学校」は、「昭和パビリオン」に生まれ変わっていました。
ここはノスタルディックに浸れる場といえます。

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昭和の時代を知る人なら懐かしいものばかりです。

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日本人の平均的な住まいである居間や台所は、こんな情景でした。しかし昭和の中でも
30年代くらいでしょうか。ちゃぶ台が妙に懐かしいです。

オート3輪を見ることは、今は皆無ですね。

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子供の頃、近所の駄菓子屋。小銭を持って駄菓子を買うのは実に楽しかったです。
当たりくじ付きの駄菓子もあり夢中でした。

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昭和村の時にはなかったのが「里山ふれあい牧場」です。

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場内一周500円で馬に乗ることができます。
小さな子供達が楽しそうに並んで順番待ちしていました。

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「双六学校」は昭和6年3月に竣工した小学校です。

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昭和40年まで実際に使われており、広く村民の心のよりどころだったようです。
私も小学校1年生の時は、まだ校舎は木造でした。

この他にも、ボートに乗ったり、登り窯で陶芸の体験ができたり、入園無料でこれほど
充実している施設は珍しいと思います。

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コロナウィルスの影響で外出するのも憚れますが、家でじっとしているのも限界が
あります。その点、ここ「ぎふ清流里山公園」は敷地が広大で、公共施設も自然も
両方満喫でき、あまり他人を気にしないで済む稀有な存在です。
入園が無料なので、その分お土産物屋で、目一杯買い物をしました。

本当に楽しかったです!
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すかいらーくホールディングス [株主優待]

すかいらーく(東証1部:3197)から株主優待が届きました。
確定月は6月末、12月末の年2回です。

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500株で18000円分(5000円*3枚、3000円*1枚)の優待カードです。

株価の暴落がひどいですね。
こうした有事の時には、パニック売りしてしまいがちですが、心を強くして、
逆張りします。
このすかいらーくも、更に500株買い増しして合計1000株としました。
1000株だと12月が36000円分、6月が33000円分で、
合計69000円分の優待カードとなります。
愛知県だと、ガスト、バーミヤン、ステーキガストなど使える店が限られていますが、
アプリと併用すると超お得です。
更にガストは平日夕方までならビールは何杯飲んでも1杯200円ですし、
個人的には赤ワインのデキャンタがお勧めです。

しばらく株の暴落は続くでしょうが、欲しい優待株を仕込んでじっと推移を見守ろうと
思います。





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清州城 [名古屋・愛知の見所]

昨日、家内と一緒に清須市にある「清州城」に行ってきました。

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以前から訪れたいと思っていたのですが、中々行く機会がなくやっと実現しました。
大河ドラマ「麒麟がくる」を毎週楽しみにみていますが、清州城はまさにその時代と
重なり合います。

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「清州城」の歴史を簡単にまとめると、
1405年、尾張・遠江・越前守護の管領斯波義重によって築城されました。
その後、織田信秀が古渡城に拠点を移すと守護代織田信友が入城しましたが、1555年
織田信長と結んだ織田信光によって信友が殺害され、以降信長が那古野城から移って
大改修を加えた後、本拠として居城しました。信長は、この城から桶狭間の戦いに出陣する
など、約10年間清須を居城としたのです。1562年には信長と徳川家康との間で同盟が
この城で結ばれました(清洲同盟)。その後信長は1563年に美濃国斎藤氏との戦に備えて
小牧山城に移り、以後は番城となったのです。
1582年、本能寺の変で信長が斃れると、清洲城にて清洲会議が行われ、城は次男織田
信雄が相続しました。小田原征伐後の豊臣秀吉の国替え命令に信雄が逆らって除封され、
豊臣秀次の所領に組み込まれた後、1595年には福島正則の居城となりました。

1609年徳川家康によって、清須から名古屋への遷府が指令されると、1610年より
清須城下町は名古屋城下に移転されました(清洲越し)。清須城も名古屋城築城の際の資材
として利用され、特に、名古屋城御深井丸西北隅櫓は清須城天守の資材を転用して作られた
ため「清須櫓」とも呼ばれています。1613年、名古屋城の完成と城下町の移転が完了し
たことにより廃城となったのです。

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実際にあった清洲城の場所は、城跡は開発によって大部分は消失し、さらに東海道本線と
東海道新幹線に分断されていて、現在は本丸土塁の一部が残るのみです。

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東海道本線北の城跡(清洲古城跡公園)には、信長公を祀るお社、清洲城跡顕彰碑が
あります。

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そして東海道本線以南の城跡(清洲公園)に信長の銅像があります。

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この銅像は、織田信長が26歳の1560年、「桶狭間の戦い」に出陣する姿を模した
銅像で、桶狭間の方向を見据えているとのことです。信長像のすぐ近くには、濃姫像も建立
されていました。
大河ドラマ「麒麟がくる」では、濃姫が重要な役どころで出演していますが、実際は
ほとんどどんな人生を歩んだか不明です。信長の正室であったことだけは確かです。

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現在の天守閣についてです。
1989年に旧・清洲町の町制100周年を記念して、清洲城跡に隣接する場所に建設された
鉄筋コンクリート造の模擬天守です。
訪れた日は、案の定コロナウィルスの影響で閉門され、中に入ることはできませんでした。

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創建当時の絵図が残っていないため、その規模も不明なため、外観や規模は、実在した
当時を想像して設計されたものだそうです。

戦国時代に戻って、この地で、清州同盟や清州会議が実際に行われたと考えるだけで
ワクワクしてきます。歴史って本当に楽しいです。





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サガミホールディングス [株主優待]

サガミホールディングス(東証1部:9900)から株主優待が来ていたので、
和食処サガミで食事をして来ました。
優待の確定月は、3月末、9月末の年2回です。

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1000株で食事券(500円×30枚)です。
サガミは、麺類主体で、名古屋が地盤の外食チェーンです。
私は大の和食好きなので、サガミのようなお店は本当に大切です。
お祝い事には「木曽路」、普段ちょっと和食が食べたいと思ったときは、
「サガミ」といったところでしょうか。
しかし株の大暴落で、今日現在株価は1111円と最安値を付けています。
また配当も100株当たり5円と、超低配当なのも残念です。

とは言え、年間30000円分の食事券は、使い応えがありますし、店の雰囲気も
木の温もりがあって気に入っています。

本日頼んだ料理は、「サガミ膳」。ボリュームがあって彩りも綺麗です。

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家内は、「そば御膳」を注文しましたが、一の膳、二の膳、デザートと更に
ボリュームあるものでした。

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コロナウィルスの影響で、やはり客足は少なかったですが、負けずに頑張って欲しい
ものです。





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