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清州城 [名古屋・愛知の見所]

昨日、家内と一緒に清須市にある「清州城」に行ってきました。

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以前から訪れたいと思っていたのですが、中々行く機会がなくやっと実現しました。
大河ドラマ「麒麟がくる」を毎週楽しみにみていますが、清州城はまさにその時代と
重なり合います。

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「清州城」の歴史を簡単にまとめると、
1405年、尾張・遠江・越前守護の管領斯波義重によって築城されました。
その後、織田信秀が古渡城に拠点を移すと守護代織田信友が入城しましたが、1555年
織田信長と結んだ織田信光によって信友が殺害され、以降信長が那古野城から移って
大改修を加えた後、本拠として居城しました。信長は、この城から桶狭間の戦いに出陣する
など、約10年間清須を居城としたのです。1562年には信長と徳川家康との間で同盟が
この城で結ばれました(清洲同盟)。その後信長は1563年に美濃国斎藤氏との戦に備えて
小牧山城に移り、以後は番城となったのです。
1582年、本能寺の変で信長が斃れると、清洲城にて清洲会議が行われ、城は次男織田
信雄が相続しました。小田原征伐後の豊臣秀吉の国替え命令に信雄が逆らって除封され、
豊臣秀次の所領に組み込まれた後、1595年には福島正則の居城となりました。

1609年徳川家康によって、清須から名古屋への遷府が指令されると、1610年より
清須城下町は名古屋城下に移転されました(清洲越し)。清須城も名古屋城築城の際の資材
として利用され、特に、名古屋城御深井丸西北隅櫓は清須城天守の資材を転用して作られた
ため「清須櫓」とも呼ばれています。1613年、名古屋城の完成と城下町の移転が完了し
たことにより廃城となったのです。

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実際にあった清洲城の場所は、城跡は開発によって大部分は消失し、さらに東海道本線と
東海道新幹線に分断されていて、現在は本丸土塁の一部が残るのみです。

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東海道本線北の城跡(清洲古城跡公園)には、信長公を祀るお社、清洲城跡顕彰碑が
あります。

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そして東海道本線以南の城跡(清洲公園)に信長の銅像があります。

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この銅像は、織田信長が26歳の1560年、「桶狭間の戦い」に出陣する姿を模した
銅像で、桶狭間の方向を見据えているとのことです。信長像のすぐ近くには、濃姫像も建立
されていました。
大河ドラマ「麒麟がくる」では、濃姫が重要な役どころで出演していますが、実際は
ほとんどどんな人生を歩んだか不明です。信長の正室であったことだけは確かです。

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現在の天守閣についてです。
1989年に旧・清洲町の町制100周年を記念して、清洲城跡に隣接する場所に建設された
鉄筋コンクリート造の模擬天守です。
訪れた日は、案の定コロナウィルスの影響で閉門され、中に入ることはできませんでした。

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創建当時の絵図が残っていないため、その規模も不明なため、外観や規模は、実在した
当時を想像して設計されたものだそうです。

戦国時代に戻って、この地で、清州同盟や清州会議が実際に行われたと考えるだけで
ワクワクしてきます。歴史って本当に楽しいです。





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