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「雷雨のち晴天」 [小説・詩作]

学生の頃から書いている短編小説。
気がつくと一冊の本ができそうです。私が会社を引退する頃、自費出版しよう
かと考えています。
カテゴリでも「小説」を作っています。
前回は「夢現」http://blog.so-net.ne.jp/tomo35/2007-01-17
を掲載しましたが、今回、もう10年以上前に書いた「雷雨のち晴天」を掲載
します。これは私小説です。


  第1章

誰にだって、子供の頃の忘れられない思い出がある。そしてその記憶の幾つかは、
何十年たった今でも、鮮明に残っているものである。お金などなくたって、なんでも
遊びになった。何をしても楽しかった。

和也はいつものように学校から帰宅すると、手も洗わず、卓袱台に置いてあるおや
つをたいらげた。今日は母親手製のプリンである。そしていっとき一時の時間もおし
いと言った素振りで、
「やんちゃんの家いってくる。」
と言うと、すりきれたサンダルをひっかけ、外へと飛び出していった。
庭の無花果の木で、一匹のみんみんぜみが鳴いている。和也はみんみんぜみの
鳴き声が好きであった。他の蝉、例えば、油ゼミやつくつくほうしなどに比べて鳴き
方が上品だと思った。ゆったりと力強く、腹の底から鳴いている、鳴き声を聞く度に
そう思う。

やんちゃんの家は斜め向かいにある。二人は同じ官舎に住んでいた。平屋の官舎
は何十と連なっていて、一つの部落になっていた。多分、昭和三十年代の前半に
建てられた木造家屋である。官舎の間取りはほぼ一緒で、3DK。塀で区切られて
いるわけでもなく、庭からお互いの部屋を覗ける。壁も薄いので、壁伝いに声をかけ
ると、相手の声がなんとなく聞こえる、両親の仲も良く、ほとんど毎日どちらかの家
に遊びに行った。

やんちゃんこと柳本伸治は小学五年生。どんなことにでも直ぐに笑う、明朗で活発
な子である。冗談を言うのが好きで、和也をよく笑わせた。人を楽しませることに、
一種の喜びを感じているようだ。和也の前で、平気でおならをしたりもする。一方、
高木和也は小学四年生で、同じ小学校に通っている。はにかみやで、少し内気な
ところがある。男の子なのに、おかっぱ頭にしている。本人が気に入っているわけ
ではないのだが、母親が散髪をするので、こんな髪型になった。運動は得意で、
学校の診断で健康優良児にも選ばれている。勉強は特別優秀というわけではな
いが、音楽と図工が得意だ。学年は違うが、二人は気があった。家のなかで遊ぶ
ときには、「人生ゲーム」や「バンカス」などのゲームをしたり、へぼ将棋をさしたり
した。外での遊びは、めんこ、ビー玉、キャッチボールなどを、気の向くまま日が
暮れるまで遊んだ。日曜日などは朝早くから、少し歩いて一キロ先の瀬野川まで
行って川遊びをしたり、近くの野原で基地を作ったり、隣町まで探検に出かけたり
もした。

「やんちゃん、あ・そ・ぼ。」
「ああ、かずちゃん、はいってきなよ。」
男の子にしてはやや甲高い声が、奧の部屋から響いてくる。今日、和也はどうして
もやんちゃんの耳に入れたい、とっておきの話しがあった。
「ねえ、やんちゃん、びっくりするような話しをするよ。稲荷町に住んでいる鈴木って
いう家で、三十円で欲しい切手五枚売ってくれる話し…。嘘のようだけど本当らしい
んだ。」
和也は、多分自分しか知らないはずという顔つきで、多少自慢げにやんちゃんに話
しかけた。
「それもね、ちょっと信じられないけど、なかには「月と雁」や「見返美人」なんかもあ
るらしいよ。枚数が多いので、切手帳に入りきらなくて、菓子箱に無造作に、目一杯
いれているらしいんだ。その箱が十箱くらい山積みになっているのだって。運がよけ
れば、高価な切手を見つけることができるかもしれない。隣のクラスの福本君って
いう子がね、「写楽」を手に入れたらしいんだ。彼がね、下駄箱で、僕の友達に自慢
げに話しているのを聞いたから間違いないよ。」
やんちゃんは、和也が一生懸命話すのを黙ってきいていた。そして和也が最後まで
話し終えると、
「とても信じられ無いなあ。でも本当だったら、すごい話しだね。だめもとで行ってみ
ようか。」
その言葉を待っていましたとばかり、和也は嬉しそうに大きくこくりと頷いた。
 
二人には共通の趣味があった。それは切手収集である。とはいっても、和也はそん
なに高価な切手はもってない。四歳違いの兄の影響で二年前から切手を集めだし
た。最初は、兄から使用済みの切手を数枚貰い、それを眺めているのが楽しかった。

切手の価値など分かるはずもなく、その図柄や配色に興味を持った。やがて学校で
切手ブームとなり、クラスの友達同士で交換が始まった。和也は、同じクラスの子
と交換をし合ったり、お小遣いで、時々郵便局で発売される切手を単品で買い、少
しずつ枚数を増やしていった。一番高価な切手は、文通週間の「箱根山」だ。同じ
クラスの友達と切手交換で手に入れた代物だ。二級品(傷物のこと)であったが、
和也には自慢の一品であった。やんちゃんは、切手の枚数は、和也よりもはるか
に多く持っていた。単品だけでなく、シートでも何十とあった。やんちゃんとも時々
切手の交換をした。ただ和也の持っている切手は、やんちゃんもほとんど持って
いたので、あまり交換することはできなかった。やんちゃんは、時たま、ただで切手
をくれたりもした。

「それじゃあ、あさって明後日の土曜日は半どんだから、昼から行ってみようよ。」
そう言って二人は約束をした。場所は、だいたい和也の頭に入っていた。隣町では
あるが、その近くは、お菓子の問屋街になっており、景品付きの駄菓子を買いに行く
ため、友達と時々出かけた。景品は、銀玉鉄砲や風船などだが、小学生にはなか
なかの宝物である。目当ての鈴木の家は、そこからもう一本奧に入った二階建ての
旧家らしい。

    第2章 

その日、和也はお昼のインスタントラーメンを食べ終えると、早速、貯金箱から百円
玉を取り出して、やんちゃんの家に行った。百円あれば、切手に三十円使っても、ま
だアイスクリームが買える。半日過ごすには十分なお金だ。やんちゃんも出かける
用意はできていた。相変わらず、せみがけたたましく鳴いている。太陽光の灼熱が、
容赦なく降り注ぐ。初夏真っ盛りだ。

行き当たりばったりだ。鈴木家に面識などない。従って今から行くということは、相手
は全く知らないのだ。ひょっとしたら留守かもしれない。それならそれでいいと、和也
は内心思っていた。いやむしろ、突然行って、もし本人がいたらなんと話しを切り出せ
ばよいのか悩むところだ。それでなくても、和也は恥ずかしがりやである。いざとなっ
たら、やんちゃんが対応してくれるかな、などと虫のいい考えをしたりもした。

道すがら、話しが本当だったら、どんな切手が欲しいか和也は考えていた。見つか
るなら「蒲原」が欲しいと思った。カタログでしか見たことはないが、東海道五十三次
シリーズの最高峰で、描かれている絵も色も好きであった。しかし、店で買えば、定価
で三千円はする代物である。和也の小遣いで買えるものではない。でも、もし手に入
れることができたら今ある「箱根山」と対で、きっと素晴らしいだろうと考えた。考える
だけで浮き浮きしてくる。一方、やんちゃんはというと、具体的に欲しい切手名はださ
なかった。それよりもそんな人が本当にいるはずがないと、疑ってかかっているよう
であった。

地元の海田高校を通り過ぎ、警察署を右に曲がって、瀬野川沿いを上流に向かって
歩く。明神橋を渡って東海道線と呉線の分岐点となる踏切を渡り、やっと二人は目的
地に着いた。菓子の問屋街が連なる道沿いのなかで、一際りっぱな門構えの家であ
る。樹齢百年くらいのひのき檜の柱が、門の左右を支えている。純和風の豪邸であっ
た。二人はそのりっぱな家の前で正直萎縮していた。ここまでは来たが、実際、見も
知らぬ相手にどう話しを切り出せばよいのか。ましてこんなりっぱな屋敷に住んでい
る人間である。卑屈な気持ちまで抱きはじめた。
「やめて、帰ろう。」
普段ものお物怖じしないやんちゃんがその言葉を口にした。やんちゃんも同じ思いな
のか。和也はそう思った。未練がないといったら嘘になるが、正直内心ほっとした。
「うん。そうだね。」

二人はその家に背を向けて歩き始めた。そのとき、背後の玄関の扉がガラガラと開
いた。思わず振り向くと、玄関から和也と同い年くらいの少女が出てきた。
 目が大きく、髪をポニーテールにしていた。着ている服は上品で、やはりお嬢様と
いう感じだ。ただどことなく少し病弱な雰囲気があった。家の中で二人の様子を伺っ
ていたのかもしれない。
「うちに何か用事。」
その娘の声は、決して高飛車で無く、透き通った感じの良いものであった。そして話
すとき小さなえくぼ靨ができた。黙って立ち空くしていると、もう一度、
「うちを訪ねて来たのでしょう。」
と聞き返してきた。これ以上黙っているわけにもいかず、女の子ということもあって、
和也が切り出した。
「実は、学校の友達に聞いたのだけど、君のお家で切手を売ってくれると聞いて、
二人で来たんだ。三十円で五枚売ってくれる話し、それって嘘だよね。」
本当と聞くつもりが、思わず嘘という聞き方をしてしまった。女の子は意に介さない
様子でにっこり笑うと、
「ああ、それならホントよ。だって私があげているのですもの。でもね、誰でもって
わけではないのよ。気に入った人でないと、それはしないの。」
彼女の気に入った人間と聞いて、和也とやんちゃんは思わず顔を見合わせた。

「で、どんな人ならいいの。」
「条件などないわ。私が見ていいと思えば、それでいいの。ところで二人は、切手
は好き。」
二人は黙ったまま頷いた。
その娘は、もう一度にこりと笑った。
「そう、家に入って。」
通された表玄関にはいって、和也は思わずぎょっとした。和風建築に似合わず鹿
のはくせい剥製が正面の壁に飾られている。生まれて初めて見る代物だ。小さな
声でおじゃましますと言ったが、
「今、家に誰もいないの。」
という少女の言葉で、緊張感が一気にほぐ解れた。一人で留守番している女の子
が、知らない人を部屋のなかにあげるなんて、大人の世界なら事だろうが、そこは
小学生、いらない心配なのである。十二畳ほどの畳敷きの部屋に通されると、座布
団を二枚だしてくれた。正面の床の間に、いかにも高そうな山水画の掛け軸が掛け
られている。そしてちょっと待っていてと言い残すと、少女は、奧の部屋に行ってし
まった。
「本当だったんだね。」
やんちゃんが小さな声で耳打ちしてきた。ただ二人とも、持ち主が、切手の価値も
分からないような少女であるとは思ってもみなかった。それに現物を見る間では、
まだ半信半疑だ。二分くらい待つと、少女は話しにでていた銀色のカンカン箱を両
手に抱えて持ってきた。積み上げた箱で少女の顔が見えない。見ると同じ形をし
た箱が五箱であった。
「好きなの五枚ね。」
少女はそう言うと、箱をそっと畳に置き、順に蓋を開いた。やんちゃんも和也も声
がでなかった。
噂は本当だった。一箱、一箱こぼれださんばかりに切手が詰まっている。ジャンル
も全く関係なくそこに詰まっている。何の整理もされてなかった。
(自分は、使用済みの切手を合わせても、全部で百枚足らずしかもっていない。
それも二年かけて集めたものだ。そこまでするのに大変な苦労をした。でも一方で
はこんな小さな女の子が、何千枚という切手を持っている。しかも好きな切手をた
だ同然で持っていっていいと言っている)
ただただ驚くばかりだ。隣のやんちゃんも複雑な表情をしている。自分と同じ思い
なのだろうかと和也は思った。
「本当にどれでもいいの。」
「うん、ここにあるものならどれでもいいよ。」
遠慮がちに、しかしすぐ真剣に探し始めたが、もの凄く高価なものを見つけだすこ
とはできなかった。欲しいと思っていた「蒲原」も見つけることは出来なかった。
それでも一枚千円前後の切手は何枚も混ざっている。
(きっと、超高値の切手は、きちんと切手帳に保管してるのだな)
二人は少し安心をした。もし「月と雁」や「見返美人」などを見つけたら、喉から手が
出るほど欲しいと思うが、何かこの娘をだま騙すようで、気が引けたはずである。
そんな状況に平気でいられるほど、二人の神経は図太くない。それでも最終的に
決めた五枚は、二人とも前から欲しいと思っていたものばかりであった。だから三
十円を支払って、貰うには多少気が引けた。年はいくつとやんちゃんが尋ねた。
小学五年と少女は言った。この切手は君のなのと質問すると、少し間があって、
それからうなず頷いた。
「本当に三十円でいいの。」
「うん。いいよ。」
少女は淀みなく答えた。和也は百円玉をだすと、お釣りがないと答えるので、やん
ちゃんに六十円支払ってもらった。

歩きながら和也は、一仕事やり遂げたかのような満足感があった。切手を手にした
喜びもあるが、少女に出会えたことが何となく嬉しかった。和也より一歳年上なの
で、普段顔を合わせることはないが、同じ小学校であった。
(こんど学校で会ったら、はなしかけてくれるかな)
そんなことをあれこれ考えていた。

「ねえ、かずちゃん。今日あったことは二人の内緒にしておこうよ。」
先ほどから黙ったまま歩いていたやんちゃんが、突然和也に向かって話しかけた。
「え、どうして。」
「言葉ではうまく言えないし、買った自分がこんなこというのも変なのだけど、この
話しが、もしどんどん広まっていって、あの娘のうちに毎日のように誰かが押し掛
けていったら、あの娘、なんだか可哀想な気がするんだ。きっと金持ちだから、た
いした事ではないのかもしれないけど、やがてあの娘が大きくなって、切手の価値
が分かるようになった時、どう思うのだろうと考えたんだ。だから僕達も今回で行く
のは止めにしようよ。」
和也には、なんとなく分かったような、分からないような言葉であった。しかし、大好
きなやんちゃんの頼み事なので、分かったと答えた。
「それよりやんちゃん、さっき三十円立て替えて貰ったから、アイスクリームおごるね。」

   第3章 

月曜日の朝、いつもの通り学校である。官舎の子たちは集団で学校に行く。やん
ちゃんは班長である。和也は、くろちゃんこと黒田勇二と並んで登校する。和也は
やんちゃんとの約束を破り、くろちゃんに土曜日の出来事を話した。言ったあとしま
ったと思ったが、自慢したい誘惑にどうしても勝てなかった。くろちゃんも切手を
収集していた。話すと興味津々で、自分も連れってくれという。和也も、出来れば
もう一度行ってみたいという思いがあった。それは切手を欲しいのも事実だが、
もう一つ別の理由、そうあの少女にもう一度会いたいと思ったのだ。初恋という言葉
は当てはまらないだろうが、和也の脳裏にはちょっとか弱そうな、少女の笑った顔
を思い描かれた。しかし、困った。やんちゃんとのことである。彼に黙っていようとも
考えたが、やはりそれはできなかった。それは大好きなやんちゃんに対し申し訳な
いという気持ちが強かったからである。くろちゃんから離れ、一番前を歩くやんちゃ
んのところまで行った。
「やんちゃん、ご免なさい。内緒にしておこうと言った土曜日の事を、くろちゃんには
なしちゃった。くろちゃんがね、どうしても一緒に行きたいって言うんだ。断りきれな
くって。ねえ、やんちゃん、もう一度だけ一緒に行ってもらえない。」
 やんちゃんは怒ったりしなかった。しかし、とても悲しそうな表情をした。それは
和也が約束を破ったことに対してなのか、少女のことを考えてなのか分からない
が、本当に悲しそうな顔であった。間を置いて、
「僕は行かない。」
言葉は短いが、その口調には決して話には応じないという強いものがあった。
和也は後悔していた。やんちゃんとのことをもっと考えるべきだったと思った。約束
を破ったことは紛れもない事実である。この瞬間大切なものを失い、取り返しのつ
かないことをしてしまったような気がした。しかしそれ以上の言葉も見つからず、
やんちゃんから離れていった。

次の日曜日の朝、くろちゃんが家に訪ねてきた。和也の気持ちは重たかった。
追いうちをかけるかのように、朝から大雨であった。月曜日から今日まで、和也
はやんちゃんの家に行っていない。朝の登校時には顔を合わせるが、なんとなく
気まずく、お互いにはなしかけることはなかった。
少女に会いたいと思ってはいたが、実際にまた訪問したら、あの娘はどう思うだ
ろう。正直、図々しいのではないか。一度目は、家に入れてくれたことでひょっとし
て自分に好意をもってくれたのではないか、などと思ったりもした。でも単なる気ま
ぐれだったかもしれない。やんちゃんの言ったとおりにしておけば、いい思い出だけ
が残ったのだ。目的地が近づくほど憂鬱になってきた。
(そうだ、今日は、自分は切手を買わないで置こう。そしてこの前のお礼だけ言うん
だ。そして帰ったら、やんちゃんにきちんと謝ろう。やんちゃんもきっと許してくれる)
そう考えると、少しだけ気分が明るくなった。
少女の家に着いた。しかしチャイムを押すことにためら躊躇いがあった。本人が出
てきてくれるだろうか。日曜日だからきっと両親がいるに違いない。あれこれ考えて
いる間に、くろちゃんの手がチャイムを鳴らしていた。嫌な予感は当たった。中から
聞こえてきたのは紛れもなく男の声であった。扉が開くと、そこに小学校の高学年
か、あるいは中学生らしき男の子が出てきた。二人を見るなり、自分より年下と察
したのだろう、
「ナニ。」
と、面倒臭そうに問いかけてきた。和也は嫌なタイプだと思った。ただ黙っている訳
にもいかず、和也はきりだした。
「あの、先週、切手を売ってもらったんです。」
「おまえ達か!。」
突然、その男は、和也達に向かって噛みつかんばかりに怒鳴り声をあげた。二人は
互いに体を硬直させたが、男は更に、
「最近俺の切手が減っているようなので変だと思った。妹を問いつめてみたら、無断
で、見も知らぬ人間に売ったと答えた。相手の名前も知らないという。拳骨で何回も
殴ってやったが、お前ら、何度もうちに来ているのか。」
「いえ、先週一回だけです。それに横にいるこの子は違います。僕と別の男の子
です。」
「どうして知ったんだ。」
「学校で噂に聞いたんです。切手を売ってくれる話しを。」
「学校で話していた人間は知り合いなのか。」
「いえ、知らない人が話していたのをたまたま聞いたんです。」
和也は、とっさ咄嗟に嘘をついた。
「まあいい。いくらで何枚買った?。」
和也は其の質問に対しては正直に話した。やんちゃんの買った切手の種類も併せ
て話した。
「三十円で買えるわけがないだろ。そんな旨い話しがあるとおもっとるのか。」
と、じろっと睨み付け、
「いいか、今週中に買った切手は返しにこい。三十円は返してやるから。お前の
友達の分もだぞ。」
一度買ったものだから、内心、やだと言おうかと考えた。其の次に、やんちゃんの
だけは許してと頼もうかと思った。しかし、相手の顔を見ると結局怖くてどちらも言
えなかった。おまけに、名前、学年、学校名まで聞かれた。その男が、同じ学校の
六年生だと分かった。もう逃げることはできない。

    第4章  

「かずちゃん、ごめんよ、僕が連れっていってくれなんて言わなければ、こんな
ことにはならなかったのに。」
くろちゃんは本当にすまなさそうに和也に話しかけた。
「いいんだ。気にしないで。」
そう答えたものの、和也は失意のどん底であった。
(やんちゃんになんと話そう。自分だけならともかく、やんちゃんにまで迷惑を
かけてしまった。やんちゃんの言うことを聞いておけば、こんな事にはならなか
ったのだ。僕が約束を破ったばっかりに、いっそのこと死んでしまいたい)
子供心に死ぬ事まで思い浮かんだ。それくらい和也は思い悩んだのである。
(あの娘、あいつにこっぴどく殴られたんだな。顔が腫れるくらい何度も、何度
も、ちくしょう)
切手を返さなくてはならなくなった現実、やんちゃんに事情を話さなくてはなら
ないこれからのこと、そしてほのかに意識した少女が殴られたという事実、一度
に悲劇が重なって、和也は本当に死にたいと思った。
家路についても、やんちゃんの家に行く気にはなれなかった。まだ時間は正午
を過ぎたばかりである。
(やんちゃん、切手を返すのはやだって言うかもしれない。考えて見れば当然
だ。最初から反対してたのだから。本当に絶交されてしまうかも)
カネゴンの貯金箱の蓋をあけ、全財産を調べてみた。一円玉や十円玉が多か
ったが、合計で二三五〇円入っていた。
やんちゃんの買った切手を、お店で買った場合のことを考えていた。カタログ帳
を見ながら、やんちゃんの買った五枚の合計金額は、定価で四七〇〇円であった。
(だめだ、自分の小遣いだけでは全然足りない)
台所で、昼食の用意をしている母親に、事情を話して、頼んでみようかとも考
えた。そのときである。玄関口から、
「かずちゃん、いる。」
紛れもなくやんちゃんの声がした。
「やんちゃん。」
和也は、やんちゃんの顔を見ると、ほとんど同時に、止めなく涙が溢れでてきた。
それから声をだしてオイオイと泣いた。どれくらい泣いたのか、随分長く感じられ
た。やんちゃんは黙ってその様子を見ていたが、
「これ。」
と言って、和也の前に一枚の封筒を差し出した。中身をみると、やんちゃんの買
った五枚の切手が、そこにはあった。和也は鼻水をたらしながら驚いた表情で
やんちゃんをみると、
「さっきね、くろちゃんが来てね、今日あったこと全部話してくれたんだ。かずちゃん
がすごく悩んでいたと聞いてね、心配で飛んできたんだ。」
思いもかけない優しい言葉に、和也は、一層声を大きくして泣いた。
「ご、ごめんなさい。やんちゃんの言っていた通りにしておけば、こんなことに、
こんなことに、ならなかった。みんな僕が悪いんだ。」
「もういいんだ。気にしなくても。僕はね、最初から、あの切手があの娘の物では
ないような気がしていたんだ。両親が集めているのだろうてね。お兄さんのもの
だったんだね。だから欲しい切手を手に入れても、心から喜べなかったんだ。こう
いう結果になってね、正直よかったと思っているんだよ。本当だよ。」
和也はその言葉で救われた。自分と違って、やんちゃんは何て大人なんだろうと
も思った。未練がましいことは一言もない。それどころか和也を勇気づけてくれる。

少し落ち着いてから、
「あの少女、たくさん殴られたんだって。可哀想だよね。」
「うん、殴られたのは痛いし、辛かっただろうけどね、もうあんな事はしなくなるの
だろうから、これでよかったんじゃないかな。やっぱり、彼女はいけないことをし
ていたんだからね。」
和也はズボンのポケットからティッシュを一枚取り出し、鼻を思いっきりかんだ
あと、少し照れくさそうに、
「やんちゃん、ずうっと親友でいてくれる。」
と聞いた。和也のその問いに、
「もちろんさ。」
と、けらけらと笑いながら答えた。

嫌なことは早く済ませたほうがよいと思い、その日の夕方、切手を返しに行くこ
とにした。一人で行くつもりであったが、やんちゃんは一緒に付いてきてくれた。
気持ちを楽にしてあげようと言う心遣いだろう。和也には身にしみて有り難かった。
ブザーをならすと意外にも中からあの少女が出てきた。もしかしたら会えるかと
思っていた和也だが、いざ顔を合わせると緊張した。和也達が口を開く前に少女は、
「ご免なさい。こんな事になって…。」
と、ぺこんと頭を下げた。事の全てを知っているらしい。
「謝るのは僕達のほうだよ。お兄さんに叩かれたらしいね。痛かったでしょ。本当
にご免なさい。」
和也とやんちゃんは、深々と頭を下げた。
「気にしないで、叩かれて当然のことをしたのだから。でもせっかく喜んでもらえ
たのに。私、切手の価値を知らないわけではないの。前から、お兄ちゃんの収集
の仕方に腹をたてていたの。全然切手に対して愛情がないでしょ。あんなふうに
箱に入れっぱなしにしているし。それで喧嘩になったことも何度かあるの。だけど
妹のくせに生意気だって、話しも真面目に聞いてくれない。それで、本当に切手
を好きな人にあげようという気持ちになって、こんなことをしてしまった。でもやり
方がまずかったって、さすがに反省しているわ。」
二人は、六十円を引き替えに、切手を返した。少女は、これは自分のだからと
言って、二人に外国の切手を一枚ずつ手渡してくれた。

「やんちゃん、あのこ、僕らと年も違わないのに、随分思い切った事をするよね。」
瀬野川の土手を歩きながら和也はそう問いかけた。
「うん、まさか承知のうえで売っていたなんて、たとえ明智小五郎でも分からなか
ったんじゃないかな。」
そう言って、ケラケラケラと大きな声を出して笑った。

夕方、日も落ちかけ、辺りは薄暗くなっていたが、和也の胸の内は、妙に晴れ
晴れとしていた。庭の無花果の木で、今まで聞こえてこなかったみんみんぜみ
が、優雅に演奏を奏で始めていた。
                                            終わり

後書き

昭和四十五年、まだ小学校四年生だった自分にとって、一才年上の柳本君は
当に頼れる兄貴的な存在でした。柔道一直線の主役だった桜木健一さん似で、
本当に冗談ばかり言っていたのを記憶しています。この年は、テレビ番組では、
「奥様は十八才」、「TVジョッキー」、その翌年には、「おれは男だ!」
「仮面ライダー」など、今でも記憶に残る番組が放映された時代です。
「TVジョッキー」でもらえる白いギターに憧れました。同じ年、大阪では万博
博覧会が開催されました。三波春夫の歌とともに、目玉である「月の石」は
当時大きな話題となりました。「仮面ライダー」が流行った頃は、スナック菓子
に入っている新カードやラッキカードが欲しくて、小遣いでどれだけその商品
を買ったことでしょう。

この小説は、私が小三の二学期から小六の一学期までの、僅か三年間だけ
住んだ広島での思い出のひとコマです。一部着色している部分もありますが、
ほとんどノンフィクションです。三十円で実際に切手五枚を手にした時の喜び、
人生の中であれほど信じられないと思ったことはありません。当時は質素な
生活でしたが、貧しいと思ったことは一度もありません。それだけ心のゆとり
があった時代と言えるかもしれません。多感な時期に広島で過ごしたあの時間
は、私にとって何物にも変える事はできない、大切な思い出なのです。


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