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夢現(ゆめうつつ)2 [小説・詩作]

   2  礼子の夢

 礼子は、お風呂につかりながら、さき程の質問を考えていた。
 新築の家が欲しいと言ったが、それは正直な気持ちであった。この家は、あら
ゆる面で機能的でなかった。家を守る立場から言うと、ただ家が広いことは有難
迷惑でしかない。第一、掃除が大変である。最初は、日を開けず,一つ一つの
部屋に掃除機を走らせた。が、これが大変な作業であることを知るのにそう日
はかからなかった。まともにやれば、掃除だけで一日仕事になる。これでは体が
持たない。性格的に綺麗付きであると思うがある程度手抜きしなければ,本当に
参ってしまう。便所は未だ汲み取り式であった。博子が誤って落ちてしまうので
はと、最初の頃は心配したものだ。夏には、ゴキブリやなめくじにも悩まさ
れた。気がつかずに、何かを踏みつけて、よくみるとゴキブリだったなどという
こと、何度かあった。壁土は少し触るだけで、ボロボロとはがれる。外から見て
も、外壁は剥がれ、一見すると化け物屋敷のようであった。現状に手を加えても
全く意味がない。するなら、全て壊して、立て直すしかない。従って直人が、部
分的に修理しようと提案したときも、強く反対した。お金をかける気にはどうし
てもなれなかったのである。

 直人から言われた、現実的な夢という言葉は、確かにその通りだと思った。
本当は、礼子にはもっと違った、直人にも話したことのない夢をもっている。それ
は、大学に行くことである。礼子は高卒である。卒業と同時に地元の大手企業
に就職をした。そしてそこで10年間働き、直人と結婚した。中学、高校と礼子
は決して成績は悪くなかった。むしろクラスでは常に上位にいた。進路相談で
担任に就職すると申し出たとき、進学するよう何度も説得を受けた。
 しかし高校を卒業したら就職しようという思いは,既に中学二年の頃に決め
ていた。礼子は両親が高年齢で生まれた子であった。父が41歳、母が31
歳の時,次女としてこの世に生を受けた。父は大正生まれで、終戦後,足か
け十年近くシベリアに抑留されていた。多くの戦友を死に目に見ながら、不屈の
精神と体力で、昭和31年に日本に戻ることが実現したのである。地元の企業
に就職したのは、36歳を過ぎたときで、当然色々な面でハンディがあった。
礼子が中学生になった頃は、定年を迎える時期にきており、両親に金銭的な
負担をかけたくはないという思いが強かった。2歳年上の姉が女子大への進学
を決めた時、なおさら自分は早く就職して、楽をさせたいと考えた。従って高校
も普通高校でなく、商業高校を選んだ。両親は反対したが、これだけは我を通
した。
 しかし姉より一足先に働くなかで、姉の学生生活は非常に華やかで,楽
しそうであった。しかしそういった羨ましさよりも、もう一度自分の好きな勉強
をしてみたいという思いが強かった。その思いは、結婚して自分の時間が多くな
るにつれ、ますます膨らんでいった。

 もし1億円当たるようなことがあったなら、夫に自分の夢を打ち明けたい。
もちろん幼稚園に通う博子の問題等あるが、きっと夫も分かってくれるだろうと
思った。礼子は夫が会社を辞めて、塾経営をやりたいことを知っていた。ならば,
自分も大学に通い、夫と二人三脚で、子供達を教えたいと申し入れれば,これは
理にかなっている。しかし、この夢は、生活の不安がないという前提である。宝
くじなど当たるわけがないのだと、ふと現実に戻り、こんなことを考える自分に、
照れを感じずにはいられなかった。
「ひろちゃん、早くお風呂に入ってきなさい。」

<続く>


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