当たり前の幸せ(何もないこと) [人生観]
私はまだ40代の企業人ですので、まだまだ過去を振り返る年齢ではありません。
ところが、休みの時自宅の書斎で一人いる時や、ベッドに入って眠りにつく間、
昔の事を考える時間が多くなっているような気がします。
思いでは、小、中学校の時代が主で、当時の学校生活や家族のことなどです。
今と違って、生活は慎ましく暮らしていました。
母は編み物が得意で、編み物教室を開いていましたので、当時の私の服は
ほとんど手編みのセーターなどでした。ですから既製品の服はほとんど買うこと
はありませんでした。小学校の時代は、小遣いも月300円くらいだったと思います。
それでも一般家庭に比べて貧乏ではありませんでしたし、貧しいと思ったことも
一度もありません。
唯一私にとって大きな買い物は、クリスマスに買ってもらえる品です。
それでも当時、3千円くらいの品物です。ですから買ってもらった品物は、自分の
宝物として何年も大切にしてきました。
戦後とは違って昭和40年代ですので、少し大袈裟かもしれませんが、
なんとなく古き良き時代だったと感じてしまいます。
一つ一つの思い出は、セピア色で、なぜか無性に懐かしく切なさがあります。
そしてあの頃は、時間がもっとゆっくり動いていて、物資は満たされていない
ものの、何故か気持ちにも優しさがありました。
こういう書き方をすると誤解を招くかもしれませんが、今は今で充分幸せです。
会社も順調で、欲しいものは、大抵買うことができます。
自分の子供をみてもそうです。
甘やかしてはいませんが、必要なものは、ほとんど買ってあげることが可能です。
子供にとっては多分それが当たり前の世界で、私が感じた時代の物のありがたみ
とは、比べようも無く薄いでしょう。
でもそれは子供の責任ではありません。
かといって親の責任と言うのもあてはまらないでしょう。
回想しても当時に戻れるわけではありません。戻れたとしても今の生活に慣れて
しまっては、多分同じような幸せを感じることもできるはずがありません。
あの当時だったから幸せだったはずです。
「幸せ」は決して物の豊富さではなく、ごく当たり前の日常の中にあったことを
忘れないでおこうと思います。
過去の思い出として、自分だけの心に大切にしまっておきます。
これからもこの幸せを大切にし続けて下さい。
by (2006-09-26 10:01)
そうですね。
幸せの持続は、お互いの理解と協力と努力が必須ですよね。
by 十円木馬 (2006-09-26 21:23)