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新美南吉と赤レンガ [名古屋・愛知の見所]

本日愛知県の南に位置する「半田市」を訪れました。
愛知県に住んでいながら、これまで半田市には一度も訪れたことがありませんでした。
半田市は知多半島道路を南下して途中下車します。

最初に訪れたのが、「新見南吉記念館」です。

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新見南吉は半田市出身の児童文学作家です。「ごんぎつね」、「おじいさんのらンプ」などは、教科書の教材にもなっているのでご存知の方も多いはずです。結核で昭和18年3月に29歳の若さで亡くなっています。

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場内は、南吉の誕生から亡くなるまでの人生の履歴と多くの資料や収集物が展示されています。
南吉の日記や、中学時代南吉が描いた弟の肖像画など児童文学作家としての才能を垣間見ることが出来ます。

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この記念館から約1㌔東に向かうと南吉の「生家」が、西に向かうと「養家」があります。
両方とも行って来ました。まずは「生家」に向かいます。

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「生家」にはちょうどガイドの方がいて約30分詳しく説明をいただきました。
家屋は伊勢湾台風で倒壊し、今建っている家当時のままに復元されたものだそうです。実家は畳やでその部屋も再現されていました。

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一方「養家」のほうは、当時の家屋がそのまま残っていました。中に入るには事前予約が必要で、通常は閉まっており中を見ることはできません。

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南吉は大正10年(8歳)に実母の実家新見家の養子になりますが、寂しさに耐え切れず、わずか半年で渡部家に戻ったそうです。8歳では致し方ないかもしれません。新見家の祖母は一緒に暮らさなくとも、南吉が東京外国語大学に進学する際には支援をしたようです。


次に向かった場所は、カブトビールを製造していた「半田赤レンガ建物」です。

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この建物は、明治31年にカブトビールの製造工場として誕生しました。明治時代に建てられたレンガ建造物としては、日本でも5本の指に入る規模だそうです。
カブトビールは、明治22年に中埜酢4代目中埜又左衛門と敷島製パン創始者盛田善平らにより、「丸三ビール」と名付けられた瓶詰ビールが3000本余り半田から出荷されこれが後にカブトビールになったそうです。

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常設展示室は3部屋ありますが、当時が再現されていて見ていて飽きません。
当時のビール瓶は大きさに規定がなく色々な形・大きさがあったことや、明治、大正時代のポスターなど珍しいものがたくさん展示されていました。

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場内で売られていたカブトビール(1本600円)を飲みたかったですが、車の運転があるので泣く泣く諦めました。

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12時を回っていたので、予め調べておいた「魚太郎蔵のまち」で昼食をとります。
店内は広くゆったりとしています。大人気店のようで30分ほど待ちました。

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メインを一品選び、おばんざい、ご飯、味噌汁、飲み物はお代わり自由とかなりのお得感のある店です。私と家内は、同じ刺身定食を選びました。でてきた刺身は新鮮で、おばんざいの品も多く大満足です。デザートまでしっかりいただきました。

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この店のすぐ正面には、「ミツカン本社」があります。

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今月、ミツカンの中埜会長が亡くなられましたが、ミツカンは知名度が高い優良企業です。
私がIT業界にいた時代には、このミツカンにSE,PGを派遣していたことを思い出しました。
すぐ横にある「ミツカンミュージアム」は事前予約が必要とのことで、残念ながら入場することはできませんでした。

それでも近くの「半田運河」は、黒の色調が見事でその美しさに魅了されました。

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昨年、私自身『自分史』を作成しましたが、今回も新見南吉という児童文学作家の生涯を知る機会を得て、全ての人間にはそれ相当の生き様があるのだとあらためて思いました。自分のみならず、家族、偉人、友人等の人生を知ることも中々面白いものです。

本日周った「半田市」は、想像以上に昔の風情を感じられる静かないいところでした。
愛知県にはまだまだ行ったことのない見所がたくさんあるはずです。時間を見つけて色々また発見していきたいと思います。

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