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 自分のための人生 [本]

生涯一度は必ず読んでおきたい本という副題に誘われ、思わず買って
しまいました。
全世界で脅威の1670万部突破だそうです。感想文はというと・・。

この世に生を受けたからには、人間誰しもくよくよ悩まず、楽しく、充実した
人生を送りたいと考えるはずです。しかし社会生活を過ごすなかには、
自分の思い通りにはなかなかいきません。この著は、そうした現実の中で、
自分の生き方、考え方を変えてみることで、心の変化や人生に対する指針を
発見でできると説いています。

書かれている内容を読んでみて、実に自分とは相反した、あるいはそういった
発想はできないと感じることが、正直多かったと言えます。
それだけ、現実の自分は、まだまだマイナス思考であり、現実を心から
楽しんでいない、あるいはそんなゆとりを持ち合わせていないと、少々落ち込ん
でいます。そしてこれからも、この本に書かれているような考えは、なかなか
できないだろうと感じています。

充実した人生を送るために、「錯信帯」を持たない人がいると書かれています。
この人たちにある共通の特徴があげられています。
まず、現実を楽しめること。私自身は、会社でも家庭でも不平をこぼしたり、
空想に耽って時間を浪費することは日常茶飯事です。そんな自分が、ある意味
当たり前で、むしろそうした無駄な時間が好きなこともあります。

しかし錯信帯のない人間は、あるがままを受け入れるため、全てに積極的かつ
貪欲、決して不平をいったりため息をつかないのだそうです。また、他人や
物事に腹を立てない、ありのまま他人を受け入れ、ある事柄が気にくわなければ、
自分で気に入るように努力して変えるとも書かれています。
こうしたことは、全てプラス思考で、自己の感情をコントロールする術を心得て
いるのでしょう。ただこうした人たちが、社会の中でうまくやれるのかは、少々
疑問な部分も感じています。
例えば、彼らは周囲の価値観に自分を合わせることはしないのです。礼儀である
というだけでパーティーに出席したり、つまらない世間話などしないのだそうです。
組織や制度に関心を持っていないことが肯定されるのならば、果たして社会人
として務めることは難しいのではと考えたりもします。

全体的には、体裁や周りに必要以上に気を遣わず、精神の健全を図るなら、
違った自分を発見することができるのではと感じたりもしています。


ウエイン・W・ダイアー 著
渡辺昇一訳
三笠書房
¥1300


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コメント 6

やはり生きていく上ではいろんな事がありますよね。
私はマイナス思考で、それがイヤで何とかプラス思考にしようと
思った事もあります。でも疲れただけでした。
そこで「自分みたいな考えもありだよね」と思うようにしたら
「明るくなったね、変わったね」と言われるようになったんです。
もう10年以上前ですが・・・
今では小心、内気、人見知りと言っても笑われるだけです。^^

社会に出ればいろんな人がいて、いろんな事がある。
自分を押さえなくてはいけないこと、意思を通さなければいけない時も
もちろんありますよね。
そういう時に自分をコントロールできるのがいいよね、と思うのですが
仕事もしていない主婦なのでこんな事が言えるのかもしれません。
by (2007-06-20 10:13) 

十円木馬

aorさん、主婦が仕事をしていないなんてとんでもないです。
aorさんのブログを拝見していても、子供に関わる教育や学校行事、
はたまた先生の指導に対する葛藤・・・、それは男性が会社で
感じる様々な思い以上の経験をされていると思います。
私は感想ではポジティブシンキングの必要を書いてはいますが、
反面、生きていくうえでは、時に慎重であったり、神経質になったり
することも必要であると考えています。だからこそ、「生きる!」
ことは面白いのだと思います。
by 十円木馬 (2007-06-20 21:55) 

おかあ

はじめまして。
私も本のことを時々書いてます。
この本、読んでみたくなりました。
錯信帯、私は、持っているとは思いますが、
だんだん小さく、透明になって、
消えかかってきているんじゃないかと思いました。
私の人生にも、日々いろいろな事が起き、ふりかかってもきますが
子をもち自分が変わったことを実感しています。
夫に感謝しています。
長所も、短所もあるフツーの人ですが、
このパートナーと一緒だからこそ、
この人生があるとつくづく感じています。
by おかあ (2007-06-21 10:34) 

十円木馬

おかあ さん、nice&コメントありがとうございます。
おっしゃる通りだと思います。
一見「当たり前」と思えある人生が、実は最高の幸せではないでしょうか。
「夫に感謝」という言葉、正直感激しました。お互いそう思える気持ち
を持ち合わせれば、簡単に離婚などという事象は起こりえないと思い
ます。
おかあ さんのブログも拝読させてもらいましたが、購読した本に対する
文章が、単なる感想文にとどまらず、自分の気持ちや意見が実に正直で
大変勉強になりました。
by 十円木馬 (2007-06-21 21:39) 

みぃこ

はじめまして。みぃこと申します。
今日、カウンセラー&大学講師の先生と雑談をしていたら、「あなたは錯信帯が非常に短い。こういう人にはめったに会わないので驚いた。」と言われ、錯信帯という初めて聞いた言葉を検索して調べているうちにこちらにたどり着きました。

検索してまさに、錯信帯がない=私の考え方、生き方にあてはまっていたので、納得したのですが、こちらの書き込みを見て錯信帯がない人物に対する誤解を感じたのでコメントをさせていただきました。

>例えば、彼らは周囲の価値観に自分を合わせることはしないのです。礼儀である
> というだけでパーティーに出席したり、つまらない世間話などしないのだそうです。

これは、非常に大きな誤解です。
錯信帯のない人間というのは客観的に自分を見るので、パーティーに出ることが自分の立場として有用であったり、世間の空気に合致することであれば、パーティーに出席します。
また、つまらない世間話であっても『そういう考えを持つ人もいる』という視点で興味を持ち一緒に話しますし、輪に加わることも否定はしません。
共感しない場合はやんわり違う考え方を提示してみて相手の出方や反論をみることもあります。瞬時に分析して、相手が頑なな考えの持ち主であれば反論するだけ無駄だと思い、「そうですか。それは大変でしたね。」程度の社交辞令で返し、あとは聞き役に徹することも多々あります。

※ただ、自分がその輪に参加しなくても問題ない場面では、興味がなければ知っている人たちが自分の近くで世間話の輪で盛り上がっていても、知らんふりして輪に入らないということも実際多いです。むこうから話しかけてきたらにこやかに輪には加わりますが…。一人でポツンとしてしまってもまったく平気です。

また、価値観については、自分のフィルターを通して共感できる価値観であれば自分の過去の価値観がひっくり返るものであっても受け入れます。自分のフィルターを通して納得できないものにはどんなに世間の常識であっても価値観を合わせないという意味では間違っていませんが、納得できれば違う価値観でもあっさり受け入れるというのが正しい解釈です。

ただ、世の中で自分のような考え方をする人というのはとても少ないので、楽しく生きながらも孤独感は常にあります。

一人で物事を考える時間が好きだという点では、ブログ主さんと共通するかもしれません。
by みぃこ (2011-10-31 03:17) 

十円木馬

みぃこさん、随分古い記事に対してのコメントありがとうございます。
錯信帯については、書物に記載されたことをそのまま記述しましたが、
深く調べられたみぃこさんの説明がきっと正しいと思います。
私自身は日々多くの人間と接する立場ではありますが、錯信帯を持たない生き方にちょっと憧れたりもしています。
by 十円木馬 (2011-11-23 19:42) 

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