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家族への思い [家族]

先週、広島に住む母が、白内障の手術を受けました。両目だったため、月曜日に入院して
火曜日と木曜日の2回に分けて手術が行われました。土曜日に退院ということで、昼頃
電話を入れると、元気な声が聞けほっとしました。0.4くらいまで下がった視力も1.2と
0.9まで回復したとのことで、よく見えるようになったと喜んでいました。父と2人で2泊で
温泉に行ってくるとのことでしたので、ゆっくり療養してもらいたいものです。
父も母も高齢になってきました。何故かその2人とそして7年前に亡くなった兄について
少し書いてみようと思います。

お父さんとは小学生の時分から、随分一緒に行動を共にしてきました。休日には、
山登りや東海自然歩道など数多くまわりました。正直、誘われて億劫なときもありました。
兄ははっきりと断っていましたが、私は子供心に親孝行しなくてはという思いもありました。
それでも一端外出して目的地に向かえば、気分も爽快、色々な話を通じて随分社会勉強
にもなったと感じています。夏の暑い時期、長時間歩き続け、喉がカラカラの中、湧き水を
見つけて飲んだ味は格別でした。海田に住んでいる頃、目的地に出かけた帰り、瀬の川
沿いにあったホルモンの店「とん平」で、タンとヤサキを食べるのも楽しみでした。お父さん
もそこで日本酒を飲むとき、一時の幸せを感じていたはずです。
お父さんが、何故私を誘って山歩きをしたのか考える事があります。自身の健康のため、
子供とのスキンシップをはかるため、また会話を通じて人生について教えたかったので
しょうか。それにしても一緒に歩く事は、高校2年生の頃まで続いたはずですから、随分
長い期間だったかと思います。
お父さんの人生を知って思うことは、「自分自身納得した生き方を通した」ということです。
一流大学を卒業して、広島、東京で教師を、そして転職後、転勤を繰り返し日本中を視察
しました。定年後再び私立高校の教師、やがて文具店を開業、私塾で10年以上子供たち
を教え続けました。一見無計画のようですが、しっかりと人生の設計をしていたと思います。
もちろんそこには、節目節目で運も見方につけていたはずです。本が大好きで、80歳を
過ぎても活字を追う姿は素晴らしいの一言に尽きます。

お父さんにとっては自分の人生に十分納得していると思いますが、その背景にはお母
さんの存在なくしては語れないでしょう。お母さんは常にお父さんを立てて、支えてきま
した。兄も私も常に温かい愛情に包まれて育ててもらったという思いがあります。
小学校の参観日、お母さんが観に来てくれることが楽しみでした。同級生から
「お前のお母さんは美人だな」と羨ましがられた記憶がよみがえります。
またお母さんはとても忍耐強い人です。
いつだったか、やかんの熱湯を誤って足にかけてしまった時。悲鳴もあげず、じっと耐え
ていたその我慢強さには驚かされました。腰の手術をしたときも見舞いに言った私達に、
平気な顔をしていました。心配をかけたくなかったのでしょうが、本当にすごいことだと思
います。
赤ちゃんだった私達兄弟を背負っていたことで、ヘルニアになったり、突発性難聴になり
片耳が聴こえずらくなっても、いつも穏やかに明るく生きているお母さんには、心から尊敬
しています。

40代で兄は天国に召されました。余りにも早い死でした。たった二人きりの兄弟なのに、
正直、寂しいの一言です。生き方そのものは器用ではなかったと思いますが、私は尊敬
していました。兄は、私と比べて人付き合いが長けていて、友人も多かったです。
決して上手とはいえないギターをつま弾きながら、よく歌っていました。NSPの「さようなら」は
一番のレパートリーでしたね。大好きだったお酒。本当に底なしでした。
今も天国で晩酌しているのでしょうか。
両親や兄の生きてきた姿を追い続けて、今の私があります。
心の底からありがとうと言いたいです。

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